クリスマスを前にChamps elysees(シャンゼリゼ)のイルミネーションを初めあちこちで奇麗な電飾が見られるようになった。今日は午前中にパリ市内の水族館に行き、暗くなってからシャンゼリゼのイルミネーションを見に、コンコルドからフランクリンルーズベルトまで歩いた。
19世紀後半にナポレオン三世の命で、パリを中心とするイルドフランスの官選知事だったウジューヌ・オスマンが、いわば秩序なく発達してしまい大都市としての機能を果たしていなかったパリ市の大改造を手がけた。シャンゼリゼ大通りはもともとはこのときの大改造の時に建設されたものである。したがって約100歳。当時から現在の位置に凱旋門の計画があったが、予算の問題でかなり小さかったらしい。
シャンゼリゼ大通は幅100m。車線は片側4あるいは5あると思う。交通量は多いし、沢山の観光バスが走るのだが、石畳舗装である。この舗装はアスファルトのように機械で簡単に出来る物ではなく、職人が一つづつ組み立てなくてならない代物で、維持するのはとても大変なことである。ちなみに私が住んでいる地区はほとんどがアスファルト舗装になっているが、石畳舗装の上にアスファルトを流し込んだものである。費用も技術も維持することが難しくなったのだろう。ツールドフランスのゴールはシャンゼリゼ大通であるが、石畳舗装はかなり凸凹があるので自転車泣かせではないかといつも思っている。
でも今のシャンゼリゼが登場するのはつい10年まえの1994年のことだ。それまでのシャンゼリゼは現在の歩道として利用しているところが駐車場でしかも路上駐車が横行して車で乱れていたらしい。これに対してシャンゼリゼの地下に大駐車場を建設して、代わりに幅の広い歩道を建設したのだ。
さて、土曜の夕刻と言うことでかなりの人通りがあってびっくりした。コンコルドから凱旋門まで約2kmあるが、この直線がずーと光で続いているのは奇麗である。電飾はくすの木に電飾が巻かれているだけなので近くで見ると単純極まりないのだが、これだけ集まると圧巻だ。
19世紀後半にナポレオン三世の命で、パリを中心とするイルドフランスの官選知事だったウジューヌ・オスマンが、いわば秩序なく発達してしまい大都市としての機能を果たしていなかったパリ市の大改造を手がけた。シャンゼリゼ大通りはもともとはこのときの大改造の時に建設されたものである。したがって約100歳。当時から現在の位置に凱旋門の計画があったが、予算の問題でかなり小さかったらしい。
シャンゼリゼ大通は幅100m。車線は片側4あるいは5あると思う。交通量は多いし、沢山の観光バスが走るのだが、石畳舗装である。この舗装はアスファルトのように機械で簡単に出来る物ではなく、職人が一つづつ組み立てなくてならない代物で、維持するのはとても大変なことである。ちなみに私が住んでいる地区はほとんどがアスファルト舗装になっているが、石畳舗装の上にアスファルトを流し込んだものである。費用も技術も維持することが難しくなったのだろう。ツールドフランスのゴールはシャンゼリゼ大通であるが、石畳舗装はかなり凸凹があるので自転車泣かせではないかといつも思っている。
でも今のシャンゼリゼが登場するのはつい10年まえの1994年のことだ。それまでのシャンゼリゼは現在の歩道として利用しているところが駐車場でしかも路上駐車が横行して車で乱れていたらしい。これに対してシャンゼリゼの地下に大駐車場を建設して、代わりに幅の広い歩道を建設したのだ。
さて、土曜の夕刻と言うことでかなりの人通りがあってびっくりした。コンコルドから凱旋門まで約2kmあるが、この直線がずーと光で続いているのは奇麗である。電飾はくすの木に電飾が巻かれているだけなので近くで見ると単純極まりないのだが、これだけ集まると圧巻だ。