juin 02, 2016

過去日記(Bordeaux 2006年11月07日04:58 )


Bordeaux旅行から帰ってきた。旅行中に買ったワインを数えたら21本。うちいくつかは娘が20になったら開ける予定。 
あと17年か。長いなあ。 
シャトーの人たちは本当に丁寧に対応してくれた。ボルドーの広大なワイン畑と高い空を見ていると人間が地面にへばりついている気がしてくる。




エチハド



ケニアへの出張に今回はエチハド航空を利用した。経由空港はアブダビ、アラブ首長国連邦。


ここからアメリカに向かう旅行客が多いらしく、入国手続きのアナウンスが何度かあった。携帯電話などのデバイスは入国審査時に電源を入れないといけないらしい。電源が入らない場合は、没収になるとのことで、充電を忘れないようにと注意があった。
海外に初めて行ったのはアメリカ、シアトル空港だった。もう30年前だ。今でも空港を降り立った時のクロワッサンのような匂いを思い出す。


mai 29, 2016

過去日記(London 2006年10月11日16)


二泊三日のLondon出張。ホテルがハイドパークの近くだったので、ハイドパークを横断してビクトリア・アルバート美術館に行った。 
ハイドパークには大きな池があって野鳥が多く生息しているようだ。パリにも比較的大きな公園があるが、ロンドンの公園は比べ物にならないほど大きい。小雨で芝が濡れているので、ズボンが汚れないように長靴を履いて犬を散歩させている人がたくさんいた。犬も元気だ。 
ビクトリア・アルバート美術館は時間がなかったので、レオナルドダビンチの特設展、アジア、墓のコレクションを見た。美術館は全体的な印象としてイギリスらしくきちっとしている。とりわけアジアセクションは展示室にふんだんに木を使ってあり、いい演出がされていた。墓のセクションにはどうやって持ってきたのか知らないが、10mもあろうローマ時代の塔のような巨大な墓が展示してあった。 
レオナルドダビンチ展は氏の残したメモや本(教科書のようなものをたくさん書いている)を展示して、数学的、医学的、発明的な作品の解説をしている。氏の美術品が精密な科学的根拠に基づいていることを非常に印象付けるものだ。 

しかし、ロンドンは物価が高い。 
ダビンチ展2000円 
フィッシュアンドチップとコーラ2000円 
極めつけが、地下鉄ひとのり600円 

よくいきていけるものだと思う。




過去日記(Les misérables 2006年10月01日06:03 )


初めて読んだ。ビクターユゴー。1962年。はるか昔、小学生の頃に子供用の「ああ無情」を読まされて、半分も読まなかった記憶がある。 

なぜ、いまさら?。何のことはない。折角フランスにいるのだからフランス文学の一つでも読もうと思い、一時帰国したときにたまたま入った書店で、知っていたのがこれだけだったということ。新潮文庫で全5巻だった。読みきれるか自信がないので取りあえず1巻のみ購入して読み始めた。どうでもいいことだが、いつもお世話になっている日本人の医者が16区のビクターユゴー通りにある。 

物語は前科者(といっても空腹の子供のためにパンを一つ盗んだことで懲役となった)のジャンバルジャンと未亡人のファンチーヌが平行し、1巻の中盤後半頃に合流する。ジャンバルジャンは前科者で世捨人だったが、ビアンベニュ牧師との出会いで改心し、過去を隠し貧しい人のために尽くし、とうとう市長にまでなる。ファンチーヌは一人親で貧困のゆえに一人娘のコゼットをやむなく旅途中で泊まった宿にあずけ、ジャンバルジャンの街にたどり着く。しかし、この宿主がひどい悪人で法外な養育費をしつこく要求する。ファンチーヌはコゼットが女中同様に働かされていることを知らず、娘のために一心に働けど足りず、挙句の果てに自分の前歯を売ることに。 

ジャンバルジャンは牧師からの教えを忠実に守り過去を隠し、マドレーヌとして、貧しい人のためにつくしているが、ある日、「ジャンバルジャン」として裁判に掛けられている者がいることを知る。自分が本当のジャンバルジャンであることを明かせば、自分がこれまでやってきている貧しい人への奉公が無になってしまい、一方でそのままでいれば、無実の罪を着せられたある一人の者が自分の身代わりで罰せられることとなる。 

ファンチーヌもその一人で、ファンチーヌはいつかこのマドレーヌ市長(ジャンバルジャン)が愛娘のコゼットを自分の元に連れてきてくれるものと信じている。ジャンバルジャンは苦悩の末、裁判所へ向かい自分がジャンバルジャンであること告げる。一方ファンチーヌは過労で、コゼットを待ちわびながらこの世を去る。 

・・・ここで1巻は終わった。 

歌劇等のポスターでよく見かけた女の子はこのコゼットであることであることを知った。2巻はどんな物語が続くのだろう。



過去日記( Budapest 2006年09月28日20:58 )



業界の世界大会がブダペストであり、これに出席する為に4泊の出張をした。今はブダペスト空港でインターネットにアクセス中。今回の出張では、ホテル、会場、空港でこの無線の恩恵を受けた。 
仕事はさておいて、レセプションで披露されたパフォーマンスに感動した。いってみれば砂と音楽を使った紙芝居、砂芝居とでも言えようか。ガラスの板の上で砂を使って手で絵を描く。それをOHPの原理でモニターに写す。普通の紙芝居は既に描かれた絵を差換えていくのだが、この砂芝居は砂なので絵がどんどん変わる。だから絵はその瞬間しか存在しない。砂を使った微細な絵もよかったが、この流れというか瞬間的なところが感動させた。 
写真は暗くて分かりづらいが、ご想像の通り、旧約聖書の創世記がテーマ。アダムとイブが書かれている。 
最後の晩は地下鉄の無賃乗車で検札で止められ、約10ユーロの罰金を払った。切符の利用条件は良く見たら1mmくらいの字で、しかもハンガリー語で裏面にびっしり書いてあった。ほとんど詐欺だ。ちなみにブダペストの地下鉄はロンドンに次いで世界で二番目に古い。約100年前のものだ。




過去日記(les journées du patrimoine 2006年09月18日06:11)



昨日と今日は「遺産の日」。大統領官邸のエリゼ宮を初めにフランス中の公共施設が一般に開放されるだった。昨年はエリゼ宮に、今年は外務省と国民議会に行った。 
外務省は午前中に回ったのでそれほど並ばなかったが、国民議会の方は長蛇の列。1時間は並ぶか、と覚悟して娘のベビーカーを押していくと、横から「こっちへどうぞ」の声。並んでいる人を横目に最優先で通してくれた。実は昨年のエリゼ宮でもそうだった。フランスは子供、老人、身体障害者にやさしい。ちなみに大抵の美術館もベビーカーに子供を乗せていると先に入れてくれる。我が家は、これもあってベビーカーを手放すことがなかなか出来ない。(こんなずるをしているので、今日は娘が階段で滑っておでこを強打!眉間に大きなたんこぶを作ってしまい、妻は指に釘が刺さるといったことが。。。) 

さて、外務省は国民議会の隣、セーヌ川に面したところにある。ベルサイユ宮殿の様な豪華な内装。迎賓に使っているのだと思う。大臣の執務室も机の横のたくさんの電話が無ければ中世に足を踏み入れたような気分になる。 
国民議会は娘が頭を強打したので駆け足。議場は意外と狭かった。屋根の大きな円形のガラス窓が印象的。 
顔を打って機嫌の悪い娘を慰めるために、グランパレでやっているディズニー展に連れて行った。白雪姫の映像に食い入っている所をこっそり写真に収めた。(係員にしっかり見つかり。あとで注意されたが)








過去日記(岡本行夫講演会 2006年09月16日20:35 )


「元首相補佐官岡本行夫講演会」という案内が在仏日本商工会議所から案内があり、行ってきた。恥ずかしながら著書に触れたことは無く、予備知識無しで聞きに行った。 
知識と経験で裏打ちされたその講義の中で、心に残ったのは次の点。 

・日本人(とりわけ報道姿勢)の得意な世界観「日本人のイノチと世界のイノチのバランス」がおかしいのでは。 
・IT時代の中「日本人の影が薄くなっている」、シリコンバレーの研究者の数、中国10万、韓国1万、日本500人。 
・日本はいつからか同質性を偏重し、本質を見ない癖が付いているのではないか。一方フランスはそのてん優れている。(フランスの公演でもあり、また氏はOECD大学院生としてパリ在住の経験あり) 

この理由として日本人に欠けているのは 
・概念化の力、つまりシナリヲを書く能力 
だといい、これに必要な 
・(日本人としての)「コアの考え」が欠乏している 
と指摘した。 

これは、ITの様な最先端技術分野、あるいは日中関係のような社会的分野にボディブローを効かせている。 
そうだなあ、と思う。氏は日本を紅海に例え、「内部は非常に豊かな生態系がある。でも外海とつながっていない」という。 
紅海の魚は外海で生きてゆけるのかなあ。

過去日記(柔軟 2006年09月16日04:37)


本当にどうでもいいのだが、最近座った開脚前屈(床に座って足を開いて前に手を伸ばすストレッチ)でひじが床に着くようになった。大学の時は勢いをつけてようやくちょこっと触れるのが精一杯だったが、今はひじをつけた状態で本を読むことも出来るようになった。 
大学の時は毎日欠かさずストレッチをしても出来なかったのに出来るようになった。どうしてだろう。一つは、妻がこっちで始めたバレエの立ち方をまねして腰から背筋を伸ばす運動を始めたことが大きいのではないかと思う。これはきわめて簡単。まず、かかとをつけてつま先をなるべく大きく広げて立つ。次いで、そのまま片方のかかとを反対側のつま先に移動する。そのときはややひざを開くとやりやすい。かかととつま先が付いたら、ひざを伸ばす。すると腰から背骨がすうっと伸びる。僕の場合は普段の姿勢が悪いせいか、胃袋が圧迫されてゲップがでる。この姿勢は背筋と腹筋に適度な緊張があって心地よい。 
これを例えばトイレに行った時や、仕事で少し疲れたときにやると効果がある。ひじが付くようになったのもこれによって腰骨のバランスがよくなったからだと思う。 
ちなみに、バレエをやる人はこの体勢が基本で、これからジャンプや回転をする。すごい。



過去日記(Delacroix 2006年09月10日05:25 )



これをようやくドラクロアと読めるようになった。今日は久しぶりの晴天で知り合いの日本人がやっている日本食料理店に行き、その足でドラクロア美術館に行った。 
花より団子、そこで食べた刺身定食(妻は寿司定食)は美味かった。何でも使う野菜は空輸しているとのこと。店構えは神田のガード下を思い出させる狭いたたずまいだが、常に満席といった様子だった。新聞記事によれば最近は日本食の割安感から寿司ブームでパリだけで600軒の日本食料理店があるらしい。ただし、そのうち日本人がやっているのは1割か2割程度だが。 
ドラクロア美術館はパリでも最も古い界隈で、サンジェルマンデプレという古い教会の後ろにある。ドラクロア自身が使っていたアパートとアトリエを美術館にしたものだ。アパートを美術館にしているので広くはない。アパート部分の展示数は4程度で隣は普通のアパートになっている。アトリエとアパートの間は中庭になっていてこれがいい感じだった。 
そして、パンテオンに行った。改装工事中かとおもったが、実はオブジェの作成中。どこんじょがえるの涙を思わせる垂れたものがたくさん。この地下にはビクターユーゴのお墓があり、拝んできた。





過去日記(Nice et Chagalle 2006年09月04日01:23)


初めての南仏。Niceに行った。パリは既に秋模様だがさすが南仏、椰子の木があったりして明るい。青空と青い海が気持ち良い。旧市街地の近くの丘から街を一望できる。街は港の近くの旧市街地と新市街地に別れているが、旧市街地は沢山の小さな店がしきめきあう路地がたまらない。壁の色は浅い色のパステルで、窓枠に原色を使っているのだけどいい感じのアクセントになっていていやみがない。1Fは店だが、2F以上はアパート、おそらく安宿がほとんどであろう、無防備に開放してある窓と、洗濯を干すための針金から伝わってくる。 
丘の上にシャガール美術館がある。聖書メッセージというシリーズが目玉であるが、美術館の奥がホールになっていてそこのステンドグラスが綺麗。ホールなので中に入るとすうっと音がなくなり、ぱあっとステンドグラスの青色が目に飛び込んでくるかんじ。





過去日記(東京・下水道 2006年08月21日04:40)



今日は一時帰国からフランスに戻って久しぶりのパリだったので観光客気分で観光用の周遊バスでパリを一巡りした。Cityrama社のもので一人25ユーロ。決して安くはない。ルートは4種類あってどのバスに乗ってもいいし、乗り降りは自由。大体行ったところばかりだったが僕はいつも運転しているのでたまにはその義務感から開放されたかったので妻と子に嘆願した。あと、最近セーヌ川にできた国立図書館とベルシー競技場をつないだBeauvoir橋を見たかったので一応の目的地はそこにした。
まだ8月だというのに上着が必要なほどの寒さでふきっさらしの二階建てバスの二階はきつかったがなんとか国立図書館まで到達。念願の橋もわたることができた。
さて、橋を渡ったところで唐突に奇妙なオブジェが並んでいる。埴輪あるいはモアイを思わせる鋼鉄の宇宙人像の羅列である。良く見るとNYとかMonacoとか地名がある。ひょっとして東京があるのではと思い、じっくり見ていったら、、、やはりあった。「東京・下水道」とある。なぜここに東京下水道の名を持つ宇宙人が。。。。なぞだ。誰か知っていたら教えてもらいたい。パリは不思議な街だ。






過去日記(Amelie 2006年08月01日02:08)


2年連続で失敗している試験を間近に控え勉強をしているのだけど集中力も限界。こちらは35度を超える日が連続していて特に夕方がきつい。
暑さから逃げることを口実にルーブル美術館へ。音声ガイドが日本語とフランス語で切り替えられることを係りの人に教えてもらいぶらぶら。フランス語でしか解説していない絵もかなり多い(といっても聞いてももともと絵に詳しくないので同じだが)。良く効き比べるとフランス語の練習にはなる。当てもなくぶらぶら出来るのはさすがに居住者の醍醐味だ。ノルマがないので気ままに見て回れる。そうこうしていて気になったのは「Le Tricheur(いかさま師)」という絵。George de La Tourという画家の作品。登場人物の4人のうち右の貴公子(男性)以外の3人はぐるで、お金を騙し取ろうと画策している場面を捉えたもの。不自然な構図とワインを注ぐ女中の貞子のような目に引き寄せられた。どうでもいい話だがフランスでは貴族の名前には「de」が付くことが多い。Dominique de Vilpin(現首相)とか。
その後、入り口近くにあるバージンレコードでAmelieのDVDを買って家で鑑賞。等身大の映画でとても好感を持った。こういう逃避行動は何故か非常に集中できる。
あ、勉強しなきゃ。









過去日記(Mon nom est Tsotsi 2006年07月23日06:22 )



また映画。今度は南アフリカ映画。「僕の名前はTsotsi」というもの。彼は既に19歳になりチンピラの頭になった。容赦ない。小金を盗み取るために人を簡単に殺し悪行を尽くす悪魔のよう。あるとき彼は囲いのある家に住む金持ちの車を奪うのだが、その中には赤ん坊がいた。彼は戸惑いつつもその子供を自分の家に連れて行き何とか育てようとする。でも無理で、道で見かけた子供を背負う女の家に忍び込み拳銃を突きつけ授乳するように脅す。震えながら授乳している女を見て彼は昔の自分を思い出す。スラムで生まれ父親はアル中、母親は病気で小さい頃に亡くしたこと。その後はヨハネスブルクの近郊の空き地にあるドラム缶が家だったこと。そして本当の名前Davidだったこと。彼は女から子供の名前を聞かれて思わず「Davidだ」と言う。
子供のためには金がいると考えた彼は仲間と再び同じ家を襲う。しかし彼が今度持ち帰ったのは哺乳瓶と粉ミルク。でも彼は家の中の子供の写真、子供部屋を見て何かを感じる。そして結局は子供を警察官が張り込む金持ちの家に帰しに行く。

大げさに言えば、命の重さ、もう一方で、母親、を感じる映画だった。命の重さなんて測ることは出来ないし、あなたと私で違うことなどありえないが、現実社会ではそうではないと思わざる得ないことは沢山ある。事務所の近くの路上にあるときから座り始めたインド風の顔をした女の子がいた。ここに行き着いたのだろう。1年くらいいた。話しかける人を見かけたことはないが、寝袋やダンボール、差し入れと思われる食べ物が回りにいつも置かれていた。でもこの最近いなくなった。どうにも出来ない無力さを感じた。






過去日記(Tokyo Drift 2006年07月21日03:40)

TokyoDriftという映画を見た。家に帰って調べたらJustin Linという台湾出身の監督の作品だった。そのタイトルの通りいわゆる走り屋さんの映画。内容はリュックベンソンのTaxiとクエンティンタランティーのを足して二で割ったかんじ。見たのはタイトルに「Tokyo」とあったから。それだけ。
面白いのは舞台となっている東京の描写。うそだらけだけど、本当にありそう。登場人物は改造車を乗り回しているのだけど何故か高校生。基地の近くの学校なので外国人の学生が異様に多い。なのでみんな英語を話す。授業ではみんなパソコンで教科書を読んでいる。パチンコ屋の奥が雀荘になっていてさらに奥が国籍不明の女の子ばかりの秘密のバー。地下の大駐車場で毎晩ドリフト大会で、若いギャラリーで大賑わい。父親は海軍兵なのだけど何故か下町に住んでいる。
東京ってすごい。と思ってしまう一作。これに妄想して電車で日本まで行こうというパリジャンが再び現れるかも知れない。






過去日記(シラク美術館 2006年07月17日04:39 )

現役シラク大統領の名前を持つ美術館が誕生した。正式にはMusée du quai Branlyという。エッフェル塔西約5分くらいの所である。工事中から奇抜な建築だったので興味があった。 
アジア、アフリカ、アメリカ、オセアニアの原住民が作った芸術品?が展示してあった。日本のセクションはアイヌ。ジャンヌベルというフランスの有名な建築家が手がけたらしいが、アイデアが先行して施行の粗雑さが気になってしまった。例えば建物は横長で入り口から展示室までは緩やかな廊下が続き岩風な壁がなんとなく「洞窟」にいるような気分にさせるのであるが、壁紙がコンクリートの微妙な曲面についていっておらず多分数ヵ月後にはがれる。印象的な外のガラス壁も数ヵ月後には曇りガラスと化すかもしれない。内装のペンキ塗装も粗く建築には少しがっかり。 
展示室も異様に暗く、狭い上にやたらとガラスを使っているのでぶつかりそうで危ない。さらに付け加えればどうしてパリでアイヌの衣装やアメリカのインディアンのマントを見ているのか自分自身が分からなくなった。