novembre 04, 2006

Bordeaux Chaêau巡り


11月1日(水)はToussantという祝日。木、金と有休をもらってBordeaux方面に旅行することにした。
久しぶりの長期旅行。移動は全て車なので、トランクに今回は湯沸し器、炊飯器、米を用意して行くことにした。
計画は下記のとおりで、メドックとサンテミリオンのシャトーを合計4つ回る予定。
11月1日(水)パリ→ボルドー移動
11月2日(木)(メドック)シャトー・ソシアンド・マレ、シャトー・モーカイヨー、シャトー・プジョー
11月3日(金)(サンテミリオン)シャトー・ラルマンド
11月4日(土)ボルドー→リモージュ
11月5日(日)リモージュ→パリ

シャトー訪問はアポイントが必須。シャトーによっては(モーカイヨーなど)はビデオや展示が揃えてあっるが、通常は働いている人が個別に説明をするものである。今回はこちらの仏語のレベルを考えると、世界の最高レベルのワインを作っているシャトーに飛び込んでいくのはいささか恐縮してしまう所もあったが、思い切ってメールおよび電話でアポ入れを試みた。
シャトーソシアンドマレはメールでアポイント申し込み、一番最初に返事が来た。
シャトープジョーはメールで申し込んだが、返事が遅く、日程が変更したので再度メールを打ったところOKの返事が来た。
シャトーモーカイヨーもメールで申し込み。ただし、ここは有料。
シャトーラルマンドは電話。本当はシャトーソータールに行きたかったところ、こちらに申し込んだら都合があわないということで断られたのであるが代わりに所有者が同じのラルマンドを紹介された。
なお、ラトゥールは満員でだめ。その他もメールを打ったが返事がなかったシャトーがいくつかあった。
もっとも、11月は既にオフシーズンで、長期休暇を取るシーズンだということなのでアポが取れただけでも感謝しなくてはならない。

今はサンテミリオンのホテル。
サンテミリオンは周りが広大なブドウ畑で囲まれた丘の頂上にある岩の町。
町の7割くらいはワインショップで占めていると思われる。

novembre 01, 2006

フランス語


今日はフランス語だったのだが、ふとしたことで見つけたAsano Motoeさんのエッセイをテーマにした。 http://www.espacestemps.net/document2028.html
題目は「ロジックで割り切れない部分に潜むその国の文化の深層心理」というもの。エッセイで取り上げているのは「土足」。Moteさんはフランス在住20年らしいのだが、仏人が家の中で靴を脱ぐと言う事についてどういう意識があるのかを、自らの経験に基づいて述べている。結論から言うと、仏語にも寝上の人や初対面の人に対して使う「Vous」と、親しい間で使う「Tu」の区別があるのであるが、Vousの間柄は靴を脱がず、Tuの間柄に到達した時に靴を脱ぐ、というもの。なるほど。とおもった。
自分の経験からでも、ある日仏人を家に招いた時、婦人はマルチカルチャルな人で、靴を脱いだ方が良いのか尋ねたものの、旦那の方は何もいわずそのまま家に入ったことがある。特段悪気を感じたわけでもなく、むしろ、その彼の普段と一味違う服装を見て「そうか」と思った。
つまり、自分が相手に対して一番綺麗にしている状態、が一番礼儀正しいという事なのである。靴を脱いで(きたない)足をさらすことは許されず、まして他の誰が履いたのか分からないスリッパを勧めると言うのはもっての外ということである。

ところでSalon du Chocolaなるものに出かけた。沢山の日本人がいた。娘は大喜び。私はもともとそれほど好きではないのであったが、、、、世の中にはチョコレートが好きな人がたくさんいるということを知る事ができた。

octobre 31, 2006

岡本行夫氏の講演に行って、知った梅田望夫氏のWeb革命という本を読んだ。これはGoogleを中心において現在のビジュアル世界について分かりやすく解説しているものであるが、実際にどんなものか触ってみたくなり、ためしにこのBlogサービスを利用してみようと思った。もともと、まめな方ではないので、更新することも途絶えることが予想されるが、何か新しい発見があることを期待しつつ気軽にやってみたい。
梅田望夫氏の話ではないが、YouTubeというサイトのことも知って覗いていたら、耐震偽造の件で知られる人となった元イーホームズ社長の藤田東吾氏が伝統的なマスメディアに対抗し、インターネットを利用した訴えをあげていることを知った。氏の主張はあちこちのブログとYouTubeで見ることができるが、氏の言うように伝統的マスコミがほとんど反応していない。事実関係の裏づけ云々はあるのかもしれないが、市民としてはこの無反応は不自然に思ってしまう。これが今後どのような形でマスコミに取り上げられるのか、あるいは出ないのか、これを観察することは、インターネットのビジュアル世界とリアル世界の境界線を見るようで価値があると思っている。