初めて読んだ。ビクターユゴー。1962年。はるか昔、小学生の頃に子供用の「ああ無情」を読まされて、半分も読まなかった記憶がある。
なぜ、いまさら?。何のことはない。折角フランスにいるのだからフランス文学の一つでも読もうと思い、一時帰国したときにたまたま入った書店で、知っていたのがこれだけだったということ。新潮文庫で全5巻だった。読みきれるか自信がないので取りあえず1巻のみ購入して読み始めた。どうでもいいことだが、いつもお世話になっている日本人の医者が16区のビクターユゴー通りにある。
物語は前科者(といっても空腹の子供のためにパンを一つ盗んだことで懲役となった)のジャンバルジャンと未亡人のファンチーヌが平行し、1巻の中盤後半頃に合流する。ジャンバルジャンは前科者で世捨人だったが、ビアンベニュ牧師との出会いで改心し、過去を隠し貧しい人のために尽くし、とうとう市長にまでなる。ファンチーヌは一人親で貧困のゆえに一人娘のコゼットをやむなく旅途中で泊まった宿にあずけ、ジャンバルジャンの街にたどり着く。しかし、この宿主がひどい悪人で法外な養育費をしつこく要求する。ファンチーヌはコゼットが女中同様に働かされていることを知らず、娘のために一心に働けど足りず、挙句の果てに自分の前歯を売ることに。
ジャンバルジャンは牧師からの教えを忠実に守り過去を隠し、マドレーヌとして、貧しい人のためにつくしているが、ある日、「ジャンバルジャン」として裁判に掛けられている者がいることを知る。自分が本当のジャンバルジャンであることを明かせば、自分がこれまでやってきている貧しい人への奉公が無になってしまい、一方でそのままでいれば、無実の罪を着せられたある一人の者が自分の身代わりで罰せられることとなる。
ファンチーヌもその一人で、ファンチーヌはいつかこのマドレーヌ市長(ジャンバルジャン)が愛娘のコゼットを自分の元に連れてきてくれるものと信じている。ジャンバルジャンは苦悩の末、裁判所へ向かい自分がジャンバルジャンであること告げる。一方ファンチーヌは過労で、コゼットを待ちわびながらこの世を去る。
・・・ここで1巻は終わった。
歌劇等のポスターでよく見かけた女の子はこのコゼットであることであることを知った。2巻はどんな物語が続くのだろう。
なぜ、いまさら?。何のことはない。折角フランスにいるのだからフランス文学の一つでも読もうと思い、一時帰国したときにたまたま入った書店で、知っていたのがこれだけだったということ。新潮文庫で全5巻だった。読みきれるか自信がないので取りあえず1巻のみ購入して読み始めた。どうでもいいことだが、いつもお世話になっている日本人の医者が16区のビクターユゴー通りにある。
物語は前科者(といっても空腹の子供のためにパンを一つ盗んだことで懲役となった)のジャンバルジャンと未亡人のファンチーヌが平行し、1巻の中盤後半頃に合流する。ジャンバルジャンは前科者で世捨人だったが、ビアンベニュ牧師との出会いで改心し、過去を隠し貧しい人のために尽くし、とうとう市長にまでなる。ファンチーヌは一人親で貧困のゆえに一人娘のコゼットをやむなく旅途中で泊まった宿にあずけ、ジャンバルジャンの街にたどり着く。しかし、この宿主がひどい悪人で法外な養育費をしつこく要求する。ファンチーヌはコゼットが女中同様に働かされていることを知らず、娘のために一心に働けど足りず、挙句の果てに自分の前歯を売ることに。
ジャンバルジャンは牧師からの教えを忠実に守り過去を隠し、マドレーヌとして、貧しい人のためにつくしているが、ある日、「ジャンバルジャン」として裁判に掛けられている者がいることを知る。自分が本当のジャンバルジャンであることを明かせば、自分がこれまでやってきている貧しい人への奉公が無になってしまい、一方でそのままでいれば、無実の罪を着せられたある一人の者が自分の身代わりで罰せられることとなる。
ファンチーヌもその一人で、ファンチーヌはいつかこのマドレーヌ市長(ジャンバルジャン)が愛娘のコゼットを自分の元に連れてきてくれるものと信じている。ジャンバルジャンは苦悩の末、裁判所へ向かい自分がジャンバルジャンであること告げる。一方ファンチーヌは過労で、コゼットを待ちわびながらこの世を去る。
・・・ここで1巻は終わった。
歌劇等のポスターでよく見かけた女の子はこのコゼットであることであることを知った。2巻はどんな物語が続くのだろう。
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