高専の時にお世話になった藤枝先生が亡くなった。
「私は授業を面白くないように教えるようにしている。君たちは技術者になるのだから、私の教えることでおかしな方向に行っては困るからね」。結構厳しい授業だったと思う。
といった趣旨でお話されていたのが今でも心に残っているが高専1年生若干15歳の時に聞いた言葉である。先生の授業はその言葉の通り決して面白いものではなかった。板書の早さがすごく、ノートに移すのが精一杯で、ひたすらノートしていた記憶がある。今、PPTなどの時代になり、思えばそれだけ板書をすること自体、力の入ったものであったろう。
だから、好き嫌いで言えば嫌いな方の先生であった。強面でとっつきにくく、おまけに興味のあまりない科目(地理)だったので、試験をパスすることの方が大事だった。
でも、藤枝線先生は高専の先生の中でも尊敬するし、ちょっとした事で大変好きになった先生である。(高専の先生で嫌いな先生は少ないけれども)
ある日、どういうタイミングであったか忘れてしまったが、学級当番のような役割で先生の御用聞きにお伺いした。いつも厳しく、愛想のほとんどない授業をされていたので、こうやって先生の部屋に行くのもかなりドギマギしていたと思う。必要最小限のことを聞いてはやく帰ろう、と思っていた。ところが、先生は授業の時の雰囲気とちょっと違い、「お茶でもどうか?」と、聞かれ、確かその時の同級生の女の子と「はい」と言って、あまり広くなく、本がたくさん置いてある部屋でお茶をいただいた。あまり綺麗でない急須と茶飲みにお茶をいただき、お茶と一緒に少し和菓子も食べたきがする。
覚えているのはそこまでで、その時に何を話したのか、どんな要件でお伺いしたのかも記憶の外であるが、このお茶と、感じた先生の生徒に対するケア(と言ったらよいのかお気遣い)を感じ、中学校では先生とお茶をすることなどなかったので、とても新鮮で、ああ高専に入ったのだな、と感じた瞬間を覚えている。
訃報を聞き、あらためてネットで見てみたらこんなページがあった。古いが、こういう視点で自分たちのことを見ていてくれてのだ、と思った。ご冥福お祈りいたします。
http://www.sogogakushu.gr.jp/kosen/jissen_menu.html
「私は授業を面白くないように教えるようにしている。君たちは技術者になるのだから、私の教えることでおかしな方向に行っては困るからね」。結構厳しい授業だったと思う。
といった趣旨でお話されていたのが今でも心に残っているが高専1年生若干15歳の時に聞いた言葉である。先生の授業はその言葉の通り決して面白いものではなかった。板書の早さがすごく、ノートに移すのが精一杯で、ひたすらノートしていた記憶がある。今、PPTなどの時代になり、思えばそれだけ板書をすること自体、力の入ったものであったろう。
だから、好き嫌いで言えば嫌いな方の先生であった。強面でとっつきにくく、おまけに興味のあまりない科目(地理)だったので、試験をパスすることの方が大事だった。
でも、藤枝線先生は高専の先生の中でも尊敬するし、ちょっとした事で大変好きになった先生である。(高専の先生で嫌いな先生は少ないけれども)
ある日、どういうタイミングであったか忘れてしまったが、学級当番のような役割で先生の御用聞きにお伺いした。いつも厳しく、愛想のほとんどない授業をされていたので、こうやって先生の部屋に行くのもかなりドギマギしていたと思う。必要最小限のことを聞いてはやく帰ろう、と思っていた。ところが、先生は授業の時の雰囲気とちょっと違い、「お茶でもどうか?」と、聞かれ、確かその時の同級生の女の子と「はい」と言って、あまり広くなく、本がたくさん置いてある部屋でお茶をいただいた。あまり綺麗でない急須と茶飲みにお茶をいただき、お茶と一緒に少し和菓子も食べたきがする。
覚えているのはそこまでで、その時に何を話したのか、どんな要件でお伺いしたのかも記憶の外であるが、このお茶と、感じた先生の生徒に対するケア(と言ったらよいのかお気遣い)を感じ、中学校では先生とお茶をすることなどなかったので、とても新鮮で、ああ高専に入ったのだな、と感じた瞬間を覚えている。
訃報を聞き、あらためてネットで見てみたらこんなページがあった。古いが、こういう視点で自分たちのことを見ていてくれてのだ、と思った。ご冥福お祈りいたします。
http://www.sogogakushu.gr.jp/kosen/jissen_menu.html
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