事務所を訪れた人がお土産に機内で呼んだ文藝春秋(06.12)を置いていってくれた。普段はあまり読まない本であるが、日経新聞ばかりの環境にやや飽きがきていたので手にとって読んでみた。
その中に、柳澤桂子(生命科学者)、玄侑宗久(臨済宗副住職)という方の手紙のやり取りを記事にしたものがありとても興味深かった。
一人は科学者、もう一人は宗教者である。科学者である柳澤氏が自らの体験をおりまぜて般若心経にかかる現代語訳を出版した。ここでは科学と神(神秘)について科学者と宗教者が書簡を通じて意見を交換するというものである。単なる科学vs宗教というものではなく、お互いの根本的考え方についてよく説明がありなるほど、と思うところが多い。そういうところをメモする。
お経について
般若心経は大乗仏教の信条が記述されているらしい。私は読んだことはないのでその内容はさっぱりわからないが、お経は葬式などで何度か聞いたことがある。
お経で最も大事なのは暗記して声を出して唱えることだという。暗記するというのは考えることなく言葉とリズムが出てくること。これにより、覚めているのに何も考えていない状態が出来、耳は澄み、目は全体を眺めるようなめざしになる、という。この状態は、全てが見え、全てが聞こえていながらそれを取捨選択する分別や好き嫌いが発生しない。
したがって、お経の原点はインドにあるのだが、それを約していく過程において意味よりも音を重視している箇所がある。特に「あ」「う」「お」の音が大事にされたということ。これは他の宗教でもいえることであり、「アーメン」や「ナーム」という文句は音に意味がある。
禅問答
自分を通す回答は通してもらえない。禅とは全体性、つまり宇宙となること。ということは自分という殻から抜け出すことである。
よく分かる説明だし、本質的だと思った。
自分がやっている少林寺にも鎮魂業というのがあり、難しい文句を覚えなくてはならないのであるが、その意味を考えようとすると、どうも規範的過ぎて馴染めなかった。でも、その文章の意味ではなく音にも意味がある、ということは、重要である。なぜそれをしなくてはならないのか、という基本的質問に答えているからだ。
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