janvier 29, 2012

乾燥半日


週末は洗濯の日。日本から持ってきた貴重な洗剤を少しずつ使う。土曜の夜につけておいて日曜の朝にすすいで干した。なんと昼飯時には既に乾いていた。
外の温度は日中は40度近くなる。雨はこの時期ほとんど降らないので非常に乾燥している。
あまりに暑いせいか、年末に来たときにあれほどたくさんいた虫もいない。

janvier 28, 2012

道路を横断する巨大牛


今日は現場で道路を闊歩している巨大な牛の群れに遭遇しました。
そちらの寒さは少しは良くなりましたか?

novembre 30, 2011

Joint Training


11/29。Jointトレーニングを開催。州政府から18人、中央政府から22人ほどの参加者があった。
明日帰国。ナイロビ、ドバイ経由で12/1の夕方に成田到着予定。
少しだけひと段落だが、プロジェクトの課題は多い。

novembre 29, 2011

Revoir

ジュバでは別のプロジェクトで橋梁の建設中。日曜の昼食はこのチームのキャンプすることとなった。キャンプについていきなり「ラオスにいたか?知ってるぞ」といわれびっくり。聞くとチームはラオス在住のフィリピン人が頭でラオス人とフィリピン人の混合チームとのことだった。
昨年完成した道の駅の建設工事で働いていたそうだ。
南スーダンで再開とは。狭い世界だ。

novembre 26, 2011

Le Criquet

朝事務所に出たらでかいバッタと小さいバッタがにらめっこしていた。
カブトムシやクワガタ、バッタなどいろんな昆虫がいる。このバッタもちょっと変わった形である。一緒に働いているおじさんが佃煮にしようと提案したが、無言の返事。
プロジェクトはまだまだ離陸してない感じがある。コミュニケーションの大切さを痛感。

ジュバはほとんどのものが輸入品なので日常的な物品もとても価格が高い。安いのは水とタバコくらいか。

novembre 24, 2011

Rue dans Juba

本格的な調査開始。このプロジェクトは道路作りではなく、スーダンの人の技術力向上を目的としているので、我々調査団は「先生」役である。
ただ、他のドナーが、優秀な人を外国に招いてトレーニングするのと異なり、このプロジェクトは日本人と南スーダン人が一緒になって活動をすることにより技術を習得するというアプローチを取る。
道路のほとんどは土道。日本ではほとんど見られなくなった。なかなか手ごわい。

novembre 22, 2011

Petit dejoune


ジュバでホテルを経営しているのはエチオピア人かエリトリア人だそうだ。またドライバーはウガンダ人が覆いそうだ。
我々の止まるGrand Hotelは3食付だが、おいしいし、お腹を壊すこともない。肉だけでなく豆類や野菜も豊富である。
北スーダンからの物資が途絶え、隣国のケニアやエチオピアからの物資も限定的で物価が高騰しているということ。
あとは援助景気で人件費も上昇中だそうだ。

novembre 21, 2011

Grand Hotel


宿泊しているホテルの宿泊客は90人ほどいるそうだ。国連関係者が多い。国連職員、国連専用機のパイロット等。白人だけでなく黒人も多い。
日曜であったが、現場を視察。市内はコンクリートやコンクリートブロックの家があるが、少し中心から離れると土の塗り壁の伝統的家屋が立ち並ぶ。
水は給水車で運んでいる。道路の状態が非常に悪く、給水もままならない。

novembre 20, 2011

De Nairobi au Juba, Sud Sudan


昨日、ナイロビ経由で南スーダンのジュバに入った。飛行機から見た首都ジュバは土煙の茶色と屋根の銀色が千代紙のようにまばらにある、独特の色だった。
降り立った空港にはまだ通関や関税のゲートもなく。荷物の出し入れも全て人力だ。Travel Permitを提出しビザ代100USDを支払うと、税関の若者がいやそうに仕事を進めていた。
自動車で調査チームのいるホテルまで移動。Ground Hotelとは名ばかりで、部屋はコンテナ。しかし1泊200USD。これは安全を守るための金額。
蚊帳と部屋の隙間の目張りを日本から持ち込んだガムテープで施し、他のメンバーと合流した。

novembre 11, 2011

aerogare du age Prpot


カンボジアコンポンチュナンにあるポルポト時代の空港。滑走路、アクセス道路とも非常によい状態であるのにびっくりした。建設されたのは1970年代だそうだ。ほぼ40年を経過している。
コンクリートでできた滑走路も道路も亀裂がほとんどなく、今すぐにでも使えるのではないかと思う。

octobre 10, 2011



ホーチミン空港。タイのアユタヤで50年ぶりの大洪水だそうだが、カンボジアやその上流のラオスを含むメコン流域も今年は豪雨に見舞われた様子。写真は今日ビエンチャンからプノンペンへ向かう飛行機から撮影したもの(プノンペン近く)だが、水また水。道路が寸断され、相当の家屋が浸水しているのだと思う。大きなニュースにならないのは、産業的打撃が少ないからだろう。
完成した道の駅の瑕疵検査で再びドサマワリをしている。ラオスは地味だが堅調に成長。だんだん「道の駅」らしくなってきた。

août 15, 2011

Hanabi



久しぶりに帰省。

BBQ、海水浴、花火、プラネタリュームと娘と甥っ子を連れて回った。




mai 28, 2011

松戸のホットスポット

 松戸市,野田市,柏市,流山市,我孫子市,鎌ケ谷市が共同で放射能量の測定を国に要望した。その中で松戸市がこれらの市に先立ち、携帯測定器によるものであるが観測結果を市のHPで公表を始めた。柏市は「市では対応できません」と、さじを投げているのに対し、松戸市の対応はずっと市民の視点に立って市民のためのサービスをしていると評価する。身の丈の中で出来ることをやる、という姿勢は伝わった。
 そもそも国と同じ器械と専門家をそろえて測定することを考えていたらいつまでたっても測定はできないだろう。精度の問題はあるかもしれないが、独自でデータをしっかりと蓄積することをはじめたのは大いに意味がある。是非、その他の関東周辺の市町村も同調して欲しい。観測点を増やし、放射能の分散の様子をもっと細かいメッシュで解析することがこの問題に対する第一歩だと思う。本来は国や東電がやらなくてはならない仕事だと思うが、たぶん何も考えてないだろう。こういうところからもいかに今回の対応が局所的、近視的であるかわかる。

 さて、測定結果であるが、松戸市中央公園で0.462マイクロシーベルト/hrと新聞で公表されている近傍(かなり遠いが)の値(さいたま市の0.053、市原市0.044)の10倍程度となっている。南相馬市と同じくらいの値だ。これからも注意が必要。

mai 21, 2011

現場に行って帰る


都市部の高速道路がひと段落つき、地方部の高速道路に調査がシフト。金曜日から土曜日にかけて現地調査と情報収集に出かけた。フィリピンの田舎町に出かけるのは初めてだったので新鮮だった。本日の主な発見は以下の通り。
1.すごい高速道路が立派にあるじゃない。
今回の調査で既に整備されている高速道路を200kmくらい走ったが、日本と同じくらいの水準の高速道路が立派にありました。細切れに管理者が異なるので、その都度料金所で停止しなくてはならないのが難です。
2.台風の時にはすごい勢いで水が流れるそうだ。
現場で遭遇した265mの簡易トラス橋。水がある低水敷は50m程度だったが、この橋梁から雨季にいかに大量の水が流れてくるか想像が出来ました。こういう発見は衛星画像を見ているだけではなかなかわかりません。
3.モダンなトリシクル
現場付近の町には少しモダンで、デザインがいろいろあるトリシクル(オートバイにサイドカーをつけたもの)がたくさん走っていました。マニラよりもずっときれいな車両だったのが印象的でした。

mai 09, 2011

スカイツリー

連休最後の日はスカイツリーをみに押上まで行った。北十間川に映る「逆さスカイツリー」がテレビで紹介されていたので結構な人出だった。
押上駅の周りは再開発中で大きく変わるだろう。この十間川も今は汚いが、その頃には水質も改善され、心地よい散歩道になっていることを期待する。














撮影(長女)

mai 08, 2011

Bon anniverser

娘が8歳の誕生日を迎えた。GW最後に実家の両親と一緒に誕生会+母の日会をしました。
ケーキは常盤平のCerisierで購入。評価は「まあまあ」とのこと。

浜岡

菅総理大臣が静岡県の浜岡原発停止要請を行った。東海大地震の想定震源地域の真ん中に位置するこの原発の停止は、東日本大震災と浜岡第一原発の事故を踏まえて当然発信されるべきものと考える。今回の要請について法的根拠がないとの批判があるが、それを承知で発した今回のメッセージの重みは大きいと思う。3つのプレートの重なりといった立地条件、地震リスク、東京都市圏への影響といった影響の大きさを考えれば、他の原発と区別するという政府の説明は当然と思える。法的根拠がなければ法的根拠を事後的にでも整えればよい。それほど、リスクは顕在化して来ているとの判断だと考える。
今回の事故で見直すべきは災害対策や補償を含めた真の原発の費用対効果、環境影響評価だろう。その上で、中期的には原子力から脱却し、地震国日本が安定的に確保できるエネルギー政策に転換すべきだ。

mai 05, 2011

山本亭

葛飾区柴又までサイクリング。柴又参道も帝釈天もとてもにぎわっていた。
山本亭は寅さん記念館のすぐ近くにある。昭和初期の家屋と日本庭園がとても美しい。江戸川に近い奥まったところにあり、静かで、松戸の戸定邸と共通した空気を感じる。





avril 24, 2011

Intramuros


休日らしくIntramurosに出かけた。城壁町。スペイン(メキシコ)統治時代が約200年あるが、その当時に建設されたもので、スペインの官僚が住んでいたとのこと。教会、石畳の道路などヨーロッパ風情の建物がある。
教会のステンドグラスはフィリピン的顔の人たちがいて面白い。

時代を感じる面白い空間であるが、訪れる人はそれほど多くない様子。ここもPPPでてこ入れをするそうだが、公共がやるよりはうまくいくのではないだろうか。
Intramurosの横はパッシグ川。対岸に薄く見える護岸は自分の会社が携わったもの。川は決してきれいとはいえないが、子供たちが飛び込んで遊んでいた。

avril 20, 2011

Holy week


明日からHoly Weekにはいるそうだ。サイトで調べたら、プロテスタントでは受難週、カソリックでは聖週間というらしく、イエスがエルサレムで受難を受けたことを記憶するための行事だそうだ。フィリピンでは木、金と休日になり、多くの人が田舎に帰る。この2日間は肉を食べないのだそうだ。

このため、ローカルスタッフはそろって休日となる。われわれ日本人は関係なく仕事。
でもいい、ようやく来週末帰国できる。

avril 19, 2011

男子用公衆トイレ

現地調査で見つけた「男子用公衆トイレ」。写真右下付近の緑色のドラム缶型の囲い。使い方は写真でわかるように、男性が用を足せる。
付近を歩いていて、なんか臭うな、と思ったら、これがあった。囲いの中にコンクリの塊があり、この上に用を足すと、自然に乾燥する仕組み。(でも臭う)。気をつけてみると、あちこちにある。
タクシードライバーがよく使っているよう。
臭いはするが、歩行者がそんなにいるわけでもなく、あちこちで壁に向かって済ますよりは、決まった場所で済ます方がマナーとしてはよいかも。
下に穴を開けるとか、工夫をすれば臭いもある程度改善するように思う。

avril 18, 2011

交通事故で思うこと

登校中の児童が交通事故でなくなるとても悲しい事故が起こった。
自宅近くでもよく感じるが、道が狭いにも関わらずスピードを出したり、横断歩道で待っていてもとまらないなど、運転のマナーがとても低い。
欧州でドライブをしていると、郊外と街中ではハンプなど物理的な工作物でスピードが出ないようにしているのに加え、舗装がブロックや石積みだったりし、町の中に入ったという雰囲気を道路がかもし出すように工夫がされている。
とりわけ街中におけるドライバーの歩行者に対する注意やケアは日本と比較してとても高いと思う。これは、優先順位の意識が双方はっきりとしているからだと思う。つまり、歩行者が優先、自動車は道を譲る、という基本的なところが明確であるということ。逆に言えば、歩行者はものすごいむちゃくちゃな横断の仕方をするし、自動車のことなぞまったく気にしないで闊歩している、ともいえる。これはあくまでも歩行者のおおい住宅地の道だが。
自分は既に自動車を持っていないので、逆に歩行者の視点から他人の運転が気になるのだが、横断歩道で待つ歩行者のために一旦停止してくれるドライバーは本当に少ない。とまってくれるのはバスだけだ。バスは多くの人を運ぶのであるから、バスは通過し、自家用車がとまる方が理にかなう。
今回の事故の原因が何なのかはまだ不明であるが、ドライバーのマナーの悪さを見ていると、我が子の通学路も危険だらけだと思わざるを得ない。エコドライブとかいっているが、マナーの悪さをまずは改善しなければ本末転倒。
歩行者は遠慮せずにどんどん無茶な横断をすることがかえってドライバーのマナーを向上することになるかもしれない。

avril 15, 2011

モニュメント

フィリピン国際空港近くに建設中のモニュメント。ラウンドアバウト交差点のど真ん中に建設中でこれのために高速道路の線形をグニャリと曲げることとなる。

avril 11, 2011

La Jocond

























言うまでもないが「Mona Lisa」。娘が描いたものと本物を並べた。

avril 10, 2011

マニラでの仕事


マニラに来て約1ヶ月。マニラ市内の高速道路のフィージビリティ調査に参加中。
今日は日曜であったが、少しでも仕事を進めるためにホテルにて作業を継続した。

mai 06, 2009

Ce que j'aime


好きなもの。
合理性の中で発生した不合理なカタチ。
建築の階段。自動車のボンネットのエアダクト。

avril 28, 2009

Deplacement


出張でラオスへ。昨晩遅く、今朝は早く出なくてはならなかったので子供の寝顔だけ拝んだ。

novembre 11, 2007

Livre d'images



絵本。娘自作の三匹の子豚。最後は狼と仔豚たちが友達になるそうだ。ウイルスに感染して故障していたパソコンが復活。メーカーに頼んで修理しても調子が悪かったので電話帳で見つけたところに頼んでみた。修理代はメーカーの1/3だった。
使っているのはシャープのメビウスだが、ウイルスがリカバリー用のデータが入っている領域まで達すことがあるらしい。今回の場合はそのせいだそうだ。何度再インストールしてもだめだったのはそのせいだ。次ぎ買うパソコンはOSがCDでついているタイプにしよう。

novembre 04, 2007

Tokyo Mid Town

今日は防衛庁跡地に出来たというTokyo Mid Townを見た。
天気が良かったのでかなりの人出。人工的な空間は印象的だが。

novembre 03, 2007

柴又帝釈堂

今週は妹家族が遊びに来ている。
柴又の帝釈堂にぷらっと行ってみた。
天気も良かったので人出もかなりあった。
愛用の古デジカメFuji FinepixF401でも結構良い写真が撮れた。


octobre 13, 2007

運動会


今日は運動会。愛子様もそうだったそうだ。

わが娘の運動会は近くの河川敷を利用したグラウンドで行われた。実は2週間前の予定だったものが延期されたのだ。幸いにも天気に恵まれてとてもいい雰囲気で終わった。

男親の参加する「騎馬戦」が予告なしであり、意外に燃えてしまった。

octobre 08, 2007

松戸祭り


10月6日、7日は「松戸祭り」だった。家族で見物に出かけた。
4年前よりもかなり盛り上がっている印象があった。
見ごたえがあったのは、ヨサコイソーランのコンテスト。
松戸市周辺でやっているグループが27もエントリーして競っていた。若い人もそうでない人も、男も女も、軽快なリズムで踊るのはすがすがしかった。
ほとんどのグループはダンスの後ろに旗持ちがいて、大きな大漁旗をリズムに合わせてなびかせていた。曲に合わせてすうっと持ち上がっるところなんかは、わっお、と引き付けられるものがある。
娘も最前列で食い入るように見ていた。
以前よりテキヤさんも少なくなって、焼きそば200円とか、とても市民祭りにふさわしい手作りのお祭りになっていると思う。

mai 31, 2007

Au revoir Shorinji Kempo France


フランスでの少林寺拳法の稽古最後の日だった。
しばらくやめていたのを再開して2年、念願だった2段も取れ(免状ももらった)技も、上手くはないがより深く、より対極的に見ることが出来るようになった気がする。
可能な限り長く続けていきたい。
写真は世話になったThierry先生(中央)をはじめとする水曜日1er coursの同僚。

mai 25, 2007

Déménagement

来月の帰国を前に引越し作業が本格化してきた。今回はアパートを完全に引き払うので、次に入ろうとする人たちが見学にきたり、人の出入りも結構ある。
処理に悩ましいのは古い書籍であるが、2年前ほどにBookOffがパリにもできたので今回をそれを利用する予定。値段を叩かれるのは覚悟で明日はこぶ。

アパートのほうも主がいなくなるということが伝わったのか、最近いろいろと故障が多い。つい2週間前には洗濯機の下から大量の水が漏れ、それ以来コインラ ンドリー通いである。昨晩は夜中に「どさっ」という音がしたので何かと思ったら、洗濯物の物干しの一部が折れて、干してあった洗濯物が全て落ちた音だっ た。自動車もウォッシャー液を送るためのポンプが故障して交換した。

ほとんどの家具は前任から引き継いだものばかりだが、かなり「使い倒した」。丁度いい更新時だ。

avril 04, 2007

少子化

日本の少子化は深刻化する一方であるが日本を離れて活動していると国際競争力は優れた「人」に支えられているということを痛感する。少子化によって人材自 体の母数が減少することもさることながら、核家族化がさらに進行することで、通常は兄弟の仲で自然に培われる競争や共存、サバイバルのノウハウを経験する 機会が日本の子供たちからなくなり、結果として人間自体がメンタルに弱体化することは今後の日本の社会に致命傷になるのではないかと本気で思う。

やらなくてはならないことは多くあるけど、少子化対策こそが地域レベル、国レベルの第一優先課題として本気で取り組まなくてはならないのではないかと思う。

以降は勝手な一人語に過ぎませんが、こちらに生活してきて感じてきたこと、日本でも実践できるのではないかと思うことです。

ヨーロッパは全般的には日本ほど深刻ではありませんが少子化の方向にあり、各国対策に苦心しています。特にイタリア、ドイツは深刻で す。その中で、フランスは最近特殊出生率が2.0を超え、見事なU字復活を果たしました。一部の意見ではアフリカからの移民が子供を沢山生むのでそれが数 値を上げている、としているようですが、実際はそのようなことはなく、「全般的に子沢山」です。もっとも、フランスの失業率は最近減少しつつも10%を超 えている状況で、子沢山を手放しに喜べない状況があるのですが、この問題はここでは触れません。

フランスは社会保障が充実していることで有名です。子育てについても日本と比較してかなり優位な点があります。例えば家族手当は子供 が20歳になるまで支給されます。その額も日本の2~5倍です。このような手厚い経済的支援はもちろん機能しているわけですが、もっと身近で親身のある環 境が行き届いていることこそが要、というのが私の実感です。

(安心な公園、親も楽しいぞ)
まずは、公園です。パリにはバンセーヌの森といったような巨大で緑の多い公園も沢山ありますが、たいていは家のすぐ近くに小規模ですが、子供の遊 ぶ遊具とそれを囲むベンチ、ベンチに適度な木陰を作る植木、簡単なピクニックが出来る芝のある公園があります。夕方になると学校や幼稚園を終えた子供たち がそこに遊びに来ます。親はベンチに座って読書をしたり友人と話をしたり。遊具の下はクッションになっていますので多少のことでは怪我がしにくい構造で す。

親は注意を払っていますが子供にほとんど干渉せず、こどもは自分の持ってきたおもちゃを取ったり取られたり、譲ってあげたり、貸してもらったりと コミュニケーションします。子供は自然に子供の世界を作っているようです。親からの適切な距離が物理的にもうまく設計されています。

もうひとつ面白いのは、公園に必ず管理人がいることです。管理人は中学生が幼児用の遊具で遊んでいるのをしかったり、浮浪者を追い出したり、犬の 糞を片付けたり、ゴミを掃除したり、とかなり重要な仕事をしています。公園には柵が設けられており、夜にはしまります。また犬は基本的には入ることが出来 ません。場所によっては砂場に付けられている日よけの「傘」がそのまま夜は砂場の「蓋」になります。こうすることで砂の衛生が保たれるのです。

私が住んでいる松戸の公園は残念ながらこうではありません。数少ないベンチは浮浪者の宴会場と化し、柵はあるが野良犬が入る込むので あちこちに糞があります。砂場など、いつ砂を取り替えたのか分からないので、とてもではありませんが子供を遊ばせる気にはなりません。ベンチの位置も工夫 がなく(ときにはベンチもない)、コミュニケーションの場という思想が欠落しているようです。

(ヌヌさん)
ヌヌさんとは、ベビーシッターのことです。ベビーシッターは市に登録をして正式な資格をもらいます。ベビーシッターは低所得者の仕事になっているという側面もありますが、安価で利用でき、また一部は市から還元があります。

ベビーシッターと親との関係はかなりの信頼関係により成り立っています。家の鍵を預けるわけですし、子供が病気のときはその面倒もお願いするわけ ですから。アメリカではベビーシッターは学生のアルバイトが多いと聞いたことがありますが、フランスは違うようです。市が認定することで信頼性を高めてい ます。

(家族の支援、爺さん婆さん大活躍)
家族の支援が厚いことは、すべての基盤となっています。おばあさん、お爺さん、親類の子育てへの関わりが非常に多く見られます。例えば、
・夫婦でコンサートや夕食に行くので見てもらう。
・バカンスに行くので1ヶ月実家に預ける。
・子供が病気だが仕事があるので親に来てもらう。
などは日常的で、どこの仏家族でもやっているようです。

別の見方をすれば、自分の親や親戚を使って親は自分たちの時間をうまく作っているのです。また子育ての仕事を分担してもらっています。傍から見て いると、「子供をポイッと預けて、親は遊びに行ってしまった」と感じるのですが、子育てにおけるこのような気軽な信頼関係は、本当にいいものだと思いま す。

個人的な経験から、日本では、自分たちの楽しみのために数日も親に子供を預るというのは、モラル的に出来ません。無責任、放任、と思われるのが落 ちでしょう。でも、本当は自らの親こそが、自分たちの楽しみのために子供を頼む第一の相手になるべきだろうと思います。少子化対策で幼稚や保育園を増設す ることが議論となっており、それは大事なことだと思いますが、本当に大切なのは身内の協力であろうと思います。親がハッピー=子供もハッピー、こういう環 境を身内から作っていく必要があります。こういう考え方になじめない人も多いかもしれませんが。子育ては親だけの問題ではありません。

仏の友人に話を聞くと、こういった親の協力があることが子供の環境にもよい、と考えて地元に仕事を探す人もいます。家族の絆こそ地元の魅力でしょう。そういう観点から地域と子育てを見直していくことが日本でも必要ではないかと思います。

それがひいては国際的にも強い国づくりにつながるのだと思います。

蛇足ですが、もうひとつ加えます。

(お父さんの帰りが早い)
フランスの統計によると「相変わらず子育て仕事は母親に偏っている。10年前から比較して男性が家事に費やしている時間は2分しか変わっていな い」として、不満が多いのですが、父親が子育てに多く関わっていると思います。こちらは学校の送り迎えは親の義務ですが、このための遅刻をすることは許容 されているようです。また、仕事の帰りに同僚と一杯ということはほとんどなく、さっさと家に帰ります。というか、帰らないお父さんは離婚のようです。

いろいろありますが、行政がやる前に出来ることは多くあるし、また、お金をかけなくても少しの工夫で出来ることは多いと思います。

février 13, 2007

Livret Scolaire

こちらの学校は9月から始まる。


来週から2月のバカンスが始まるが、それは丁度前期が終わるということを意味する。今日は保護者会があって、学校全体活動の話の後に、子供の成績表が渡された。


記憶をたどると成績表をもらったのは小学校からだったと思う。毎学期末にもらった成績表は見開き1枚の簡単なものだった。今日もらったのは12pの「本」で読み応えがあるものである。

大項目と小項目に分かれているが、その構成は以下のとおり。

1.言語能力  
1)話す能力  
2)文章力  
3)筆記能力
2.共同生活  
1)自立性と社会性  
2)学習意欲
3.運動能力  
1)運動  
2)危険回避、認知  
3)リズム感  
4)集団活動
4.開発能力  
1)空間・時間の利用  
2)算数  
3)科学と技術  
4)動植物の観察
5.感性、想像、創造  
1)音楽  
2)造形

これらに小項目があって、A(習得、Compétence acquise),CA(習得中、Compétence en cours d'acquisition),NA(未修得、Compétence non acquise)の3段階で評価がされていた。特筆すべきことがあれば先生のコメントがある。

言語のところにはいくつかNAがあったが、これは仕方がない。あとは普通だ。先生と話をしていたら「この子はparticulieだ」と言っていた。日本人だから、というのもあるが、他にも何かあるのかな。

ともかく、幼稚園からしっかりした成績表があることにびっくりした。

février 05, 2007

L'hôpital Necker l'urgences enfants


子供がおお泣きして帰ってきた。


今日は娘と同い年の近所の日仏家庭のお子さんがうちに遊びに来ていた。お昼を食べて、少しビデオを見て、その後、アパートの庭で遊んでいたときだ、ボールを追いかけて後ろ向きに走ったところ、少し高くなっていた芝のところから転落。


後頭部を強打したらしい。 触ってみると大きなタンコブができている様子。泣いていて意識はしっかりしているので大丈夫だと思いつつも、タンコブがあまりに大きいので大事を見て救急病院に連れて行くことにした。 パリの小児専門の病院はL'hôpital Neckerがある。


そこの緊急病棟は24時間体制だ。l'urgences enfantsというのだが、すぐ入り口まで車で付けることができる。急いで受付まで直行。受付には一人女性がいたが、書類にかかっていてわれわれが前に立っても無反応。ひょっとして受付は別のデスクかと思って移動しようとしたときに「ちょっと待って」の一言。もっと早く言ってほしい。


何が起こったかのかを簡単に質問されて待合室へ。何家族かがすでに待っていたが、担当科が違うのか、われわれの番はすぐに回ってきた。


物腰のやさしい女医が診察をしてくれた。確かに大きなタンコブができているが、失神や嘔吐がないので大丈夫だろうということ。解熱剤のエフェラルガンが鎮痛剤としても利くのでそれを飲ませるように言われた。 娘の方も、後頭部強打の精神的ショックからだんだん我を取り戻しつつあるらしく、壁に書いてあるピーターパンに反応していた。


日曜なので会計窓口はお休み。請求書が後で自宅に送付されるとのこと。


安心したので病院のカフェで軽く休んできた。たくさん泣いて娘は腹が減ったらしくてチョコパンを食べた。


よかった。さすがに頭は心配だ。脳細胞はいくらかダメージを受けたかもしれないがまだまだ再生する年齢だ。がんばれ細胞。

janvier 14, 2007

Cambriolage

つい先日アパートのお向かいさん宅に空き巣が侵入。

私の住むアパートは築50年くらい。パリのアパートでは比較的新しい部類に入る。11階建てで1棟あたり44世帯、これが5棟あるので大きい。地下には2階の駐車場がある。

私が日本で住んでいたアパートやマンションは屋外に共通の廊下部分があってそれに各戸の入り口が並ぶ構造になっていたが、こちらはエレベータや階段につながる小さなホールが各階あって2戸~4戸が面する構造となっている。フランスの方がより細かく仕切られている。

高さの揃ったアパートが整然と道路に沿った風景はパリの名物だが、この内側は中庭になっており、住民の共通空間となっている。入る為にはコードが必要なので一応住民のみに与えらた空間である。
(限られたスペースを植樹やベンチできれいに作っていることがある。1年に1日だけこのような民間アパートの庭園を公開する日が設けられている。)

私のアパートは比較的新しいタイプなので道路との境界はフェンスになっている。

セミ・ゲーデッド・コミュニティとでも言ったらいいのだろうか、この緩やかにアクセスできない空間は非常に危険だということを今回は体験した。

仕事を終えて帰宅したら警察が調書を取っている最中だった。 不幸中の幸いなのか、お向かいさんは今月末に引っ越す予定でほとんどのものがダンボールの中であったため、被害はパソコン1台だけで済んだらしい。

でも、鍵を3つも使っていたのに襲われたのは隣人として恐怖を感じざるを得ない。ちなみに我が家の鍵はひとつのみ。 手口は単純でバールのようなもので鍵のある3つの部分をこじ広げるというもので非常に大胆だ。ドアの傷を見る限り、かなり大きな音がしたであろう。

奇妙なのは襲われたお宅は鍵を3つ使っているのだが、自宅を含めて鍵をひとつしか使っていないところが他にもあったというところ。狙い撃ちか。 うちの扉ののぞき窓には外側からガムのようなものが付けられ視界が遮られていた。

日本のマンションの扉は鋼鉄製なので鍵の部分だけをバールでこじ開けるというのは不可能だ。こちらは一見丈夫そうに見えるが、もろい。 犯行推定時間は昼の3時から4時の間で、隣のマダムが外出してから(そのときは何も問題なし)、うちの奥さんが戻るまで(鍵が壊れていたが、引越しに伴って鍵の取替えをしていると思い込んだ)。要するに妻が第一発見者ということになる。あるいは妻の帰宅に気づいて退散した可能性もある。

我が家にも警察が来て事情聴取をしていった。そのとき来たPoliceはペンを忘れたようで貸してやったら、そのまま持っていってしまった。聴取した情報も何かのキャンペーンでもらったような、店のロゴの入ったメモ帳に取っていたのが印象的。

自宅がやられなかったのは本当に幸運だっただろう。