février 08, 2022

Bercy2006

今思えば奇跡に近いめぐりあわせでこのBercyの動画に私はに収まっている。威儀即仏法をテーマにした説法を聞いた。特別なことだったと今わかる。15年の間、時折思い出しては、修正を試み、そのうち忘れ、そして何かのきっかけで思い出し、の繰り返しだった。今日のこのタイミングは何か意味があるのだろう。


juillet 17, 2016

過去日記(Escroquerie 2007年03月03日15:48)

詐欺。 

昨晩10時ころ警察から電話がかかってきた。昼ころに街頭で応じた身体障害者の支援団体の募金活動が詐欺だったというもの。明朝に4区の警察署まで来るように言われた。 

事務所を出たところで募金活動をしている若者らがいた。普段はあまり気にとめないのだが、この日に限って立ち止まって話を聞いた。彼は耳が不自由だとジェスチャーで示し、アーウーと声を真似ていた。 

結果的に今回の件につながったのだが、そのときは大きな札しか持ち合わせておらず、小切手で募金を切った。こちらでは小切手はきわめて一般的で1ユーロの買い物でも使う人がいるくらいであるが、これには名前と住所、口座番号が書かれている。警察はこれを手がかりに自分の電話番号を入手したのだろう。他に小切手で募金をした人はいないようだから唯一のTemoin証人ということだろう。 

警察に行くと、ドラマでよく見るマジックミラーの部屋に通された。鏡の向こうにあの時見た若者が立っている。どちらに対して小切手を切ったのか?といったような質問に応じて、別の部屋に移って調書を取ることになった。隣の部屋からは大きな怒鳴り声がしていて、騒々しい。 

フランスの警察というとTaxiという映画(近く4が出るようだ)を思い出す。自分の事件の担当官は女性で、フランス人には珍しくにこりともしなかったが、逆にくそまじめな表情がおかしかった。 

調書は約1時間ほどで終わり、「公共チャリティ詐欺被害escroquerie à la charité publique en réunion」なる書類をもらい開放された。 

過去日記(Edinburg 2007年03月02日06:53)




エジンバラに行った。少林寺拳法の英国の学生合宿に参加して、その後に2泊だけ寄った。この機会に英国の大学と北大の少林寺拳法部が姉妹クラブの協定を結んだ。現役生と当時の監督が来るというし、スコットランドは行った事がないので家族を連れて行ってみた。 

エジンバラはエジンバラ城が町の真ん中に聳え立っているが、それが真っ黒い岩山の上にあるので少し異様な雰囲気をかもし出している。 
泊まったのはOLDタウンと呼ばれる側で、やや黒い石で出来た古い建物が多くある。もともとは火山口だということで、起伏が激しい。 
後でよく見たらスコットランドはフィヨルド地形なのか、かなり海岸線が入り組んでおり、小島も沢山ある。夏に北のほうに遊びに行けばさぞかしきれいだろう。 

しかし、閉口するのはスコットランド訛りの英語と物価の高さ。語尾を飲み込む特有のアクセントを持つ英語は、さっぱり分からない。「アイエー」とか「オイエー」とか良く聞こえるが、これはYesのことらしい。 
物価は悲劇的に高い。サンドイッチが3ポンド。1ポンドはなんと260円を超えている!Pubでギネス(泡がクリークのようでとても美味い)を1パイント飲むと大体4ポンドする。 

人はよく親日的だと思う。こちらの人と話をしているといまだに日本は高いという強いイメージを抱いている人が多いことに気づくが、そんなことはない。日本への観光客が少ないのはこの偏見によるところもかなりあるのではないか。 

エジンバラで良く見かけるのが、怪談ツアー。あちこちに看板が立っている。エジンバラ城にも幽霊が出るそうだ。もっとも、この城は牢獄になったりしているので出ても当たり前だけど。スコットランドでは魔女狩りが長い間続いていたらしいがこういう思想と怪談好きと関係するのだろうか。

過去日記(fuite des cerveaux 2007年02月15日15:10 )

頭脳流出。ちなみに水漏れはla fuite d'eauというが、しばしばおこるのでフランス語を勉強するとしばしばお目にかかる。 

中国の胡錦濤主席がアフリカ諸国を外遊していることがフランスの新聞に大きく取り上げられている。2003年に今のポストについてからこれが3度目の訪問になるらしい。 

訪問している国はカメルーン、リベリア、スーダン、ザンビア、ナミビア、南アフリカ、モザンビーク、セイシェル諸島。 

新植民地主義に対する批判、債務免除と援助の倍増をアナウンスしているそうだ。 

なぜアフリカか?中国は自国の発展を支える将来のエネルギー資源を必死になって探しており、アフリカ諸国はそのターゲットとなっているのである。 

しかし、中国の急速なアフリカ進出については欧州の企業界は快く見ていない。不当な競争やダンピングが横行するからだ。極端な話、建設現場の労務者までコンテナで運んでくる(法が安いらしい)ということなので、価格だけの競争ではかなわない。最近は技術も向上してきているので話はさらに複雑になってきている。 

でも、アフリカに対する積極姿勢は分かる。日本も数年前にODAの基本理念として「国益」を掲げているわけであるが、その「国益」とは何か云々をやっている間に中国にアフリカ市場をのっとられようとしている、と見ている人もいる。 

Made in Chinaの脳みそは生まれは中国かもしれないけど、アメリカや欧州の教育を受けたものだろう。「量も質も高品質よ」ということか。

過去日記(Disney 2007年02月13日02:54)


娘が復活したので気分転換にディズニースタジオに連れて行ってあげた。 

質も規模も日本の方が別格だけど、娘はそれなりに楽しかったようだ。 

サイン帳を片手に、あちこちに出現するキャラクターめがけて突っ走り「サインくれ!」とやっていた。 

帰りの車では爆睡していました。ミニーが一番好き見たいね。

過去日記(仏検 2次試験 2007年01月28日21:29 )



仏検の二次試験があった。 

試験官は2人。二人ともフランス人かと思ったら、よく見たら一人は日本人だった。 

質問は、旅行はどこに行ったか、とか、何を食べたか、とか。 
面接時間は5分間で、あっという間に終わってしまった。 

待合室でも、試験の手伝いをしている人にも知り合いがいた。狭いパリの日本人社会だ。試験前に大いに世間話をしていたので、かなりリラックスだった。フランス語に接する時間は断然に多いので日本の受験者と比べて面接は断然有利。(といって落ちたら恥ずかしいが) 

過去の統計によると合格率は1級10%、準1級20%、2級30%。 

試験はこなしたが、「大人なんだからもっと正しく話そう」、と思った。 

帰国したら1級にチャレンジしよう。

過去日記(La belle et la bête 2007年01月03日05:08 )


「美女と野獣」をビデオクラブで借りてきて娘と見た。絵本で読み聞かせているので娘はストーリーを知っているので、狼が出るよとか、ヤジュウが出るよ、とか教えてくれた。 

ディズニーものが好きで、最近では「シンデレラ」「不思議の国のアリス」「ノートルダムドパリ」「美女と野獣」を見た。自分もすっかりファンだ。 

いいのは吹き替えの声優の声だ。フランス語のお姫様役の声はいつも同じ人だが、歌がすばらしくいいし、きれいなフランス語なのでとても聞きやすい。 

映画の後はお絵かきだ。狼がたくさん出てきたので、狼を書いてくれとせがまれて何とか描いた。下絵はお父さん、着色と胴体、足は娘の合作。ついでに隣に描いた丸顔のお友達。 

以前お土産でいただいたモンサンミッシェルのシードルを飲んだ。これはりんごのいやみなにおいがなくてとても美味。 

娘が寝たら別に借りてきたダビンチコードを見よう。

過去日記(Belgique 2007年01月02日01:50)


28日から1日まで車でベルギーはBruggeとAntwerpen、Brusselに行ってきた。 

Bruggeに二泊、Brusselに二泊の4泊5日の行程。ParisからBruggeまでは4時間弱で着いた。国境には一応検問所があるが素通り、ベルギーに入ると標識がベルギー語になるので多少外国にきた気分になる。Bruggeはフランスに近いのでフランス国籍の自動車も多い。 

Bruggeはペギン会修道院(世界遺産)がほぼ中心にある石造りの小さな町。海から近いので古くから商人や職人が集まったところだそうだ。町には運河が流れていて、古いレンガ造りの建物といい調和を保っている。 

ベルギーといえばビールだが、この日はBrugge Zotという地ビールを飲んだ。ベルギービールは果物でにおいや味をつけていることがよくあるのだが、個人的にはあまり好きでない。シンプルなピルスナー系が好み。この地ビールはコクがあって結構おいしかった。ちなみに、見たところアルコール度数は8~11と高めが多い様子。 

アントワープではノートルダム大聖堂に行って、ルーベンスの絵を見てきた。教会は荘厳で(ちょうどお葬式をやっていた)ルーベンスの絵も何枚かある。アニメで有名な絵は二枚。昔は布がかけられていて、見るためには銀貨を払わなくてはならなかった。キリストの昇架とキリストの降架という。フランダースの犬の最後の場面はこのうちのキリストの降架という方である。YouTubeで最後の場面を見つけたので見たが、教会がよく描かれていた。 
http://www.youtube.com/watch?v=4CgnKs1cmpg 
アントワープは大工業都市。高速道路網が首都高並みに複雑で(というかパリがシンプルすぎか)、迷って一周してしまった。海や運河を渡るのにほとんどがトンネルだったのが印象的。 

ブリュッセルはこれまた大都市でホテルまで着くのに一苦労した。この町は日本食がおいしいと日本食通のフランス語先生が行っていたので、持ってきたガイドブックをもとに試しに行ってみた。「三辰」という寿司屋。これが大当たり。お客の9割は日本人、しかもすべて予約席。なんだか、日本に戻った気分。頼んだのは、牡蠣フライ、うどん(子供に)、てんぷら、チラシ寿司。チラシ寿司は値も張ったがボリューム、質ともにすごかった。娘もうどんをつるつるたくさん食べていた。写真を撮るつもりが思わず忘れてしまった。(ので、サイトで見つけた他人様の写真を付けました) 

ちなみに、Bruggeでも日本食料理屋「たぬき」に行こうとしたが、予約で満席で断念。日本食はこちらでも人気がある様子。 
でも、パリでは中国人経営の変な日本レストランが山ほどあるが、その類はなかった。 

大晦日の晩はトラピストビール(9度)とレッフ(同じ)で酔っ払って気がついたら新年だった。 

過去日記(明日からベルギー 2006年12月28日02:26)

うちは夫婦そろって怠け者なので計画的に旅行をするということがほとんどできない。いつも思いつきで無計画。ところが、こちらの友人はなぜか大半が緻密な性格の持ち主で綿密な計画を立てて旅行に出かける。だからそのような方たちにいまだ正月休みの計画がない、などとは言えなかった。 

そのような友人から調査結果のおこぼれを頂き、いつも直前に宿を取って出かけるのがパターンだ。 

今回もそれ。さっき、明日からベルギーに行くことを決めた。自動車で4時間ほどで着く。Bruggeに2泊、Brusselに2泊の予定。 

年越しはBrusselで、1日はどこも休みなので一気にパリまで戻るつもり。 

そういえば、こちらに来てからの年末年始はいつも誰かが遊びに来ていたので、結構忙しかった。 

冬のベルギーは完全にオフシーズン。大半の友人は仏人、日本人ともに南を向いているので、???という感じ。でもよい、ホテルは安いし、すいている。 

アントワープに行って、ネロが最後に見たルーベンスの絵を見てこよう。見に来るのは日本人だけらしいが。

過去日記(Coppélia 2006年12月26日07:18 )

コッペリアを見に行った。サイトで調べると、いろいろな話があるようなのだが、ガルニエで購入したプログラムによると次のようなあらすじとなっている。 

Spalanzani博士が隠し持っている「娘」がいるのであるが、これは実はCoppelius博士と一緒に作った人形であった。この美しい人形に彼は魂を吹き込みたいと考えている。。。。というのがコンテキスト。 

登場人物は主役の青年フランツ、村の美しい娘スワニルダ、スパランツアニ博士(若?)、コッペリア博士(老?) 

フランツは綺麗なスワニルダに恋をしている。彼は都市に科学を学びに行くのであるが、それを終えて村に帰ると村にスワニルダを狙う恋敵がいることを知る。それは自分の家を実験室に改造し何かを研究しているとうわさされているCoppelius博士であった。 

コッペリウス博士は好奇心に満ち溢れるスワニルダに自分の実験室の鍵を渡す。スワニルダは彼女の友達を連れて実験室に忍び込む。 

実験室にはたくさんの仕掛け人形が置いてある。これらの人形のコミカルなダンスを楽しんでいると、スワニルダはそのうちに大きな本を見つけ、その中に自分そっくりの人形を見つける。実はコッペリウス博士はこの人形に恋をしているようだ。 

どういうことかわからず、パニックになるスワニルダをコッペリウス博士が襲う。これを後から入ってきたフランツが救う。コッペリウスは自分の夢かなわず、舞台から去る。 

(プログラムによるとコッペリウス博士が老人、スパランツアニがフランツの恋敵、のように書かれているが、バレエの配役では、コッペリウス博士の方が若く、スパランツアニが老人のようになっていたと思う) 

バレエダンスには悲劇が多いのだが、これはハッピーエンド。 
大きな本に入っている実物大の人形、それに命を吹き込むという設定。地下の秘密の実験室、とそこで踊る少女のコントラストが絶妙。 
途中に出てくる人形のコミカルな動きがあったりしてとても楽しいものだった。 

演出 Patrice Bart 
Swanilda, Nolwznn Daniel 
Frantz, Alessio Carbone 
Coppélius, Wilfried Romoli 
Spalanzani, Fabrice Bourgeois

過去日記(Les Chorists 2006年12月17日16:2)

今日はクリスマス前に幼稚園で父兄を招いた会があった。 

園児全員の座ることのできるステージが用意されていて、そこで今年(9月から)練習してきた歌を先生の指揮で大合唱。 

父兄には子供が書いた絵をうまくモチーフしたプログラムが手渡された。曲目は14曲。全曲をみんなで合唱、中には輪唱もあったり。 

「白服を着てきてください」ということであったが、女の子は頭に赤い飾りを、男の子は胸に青い飾りをつけてもらっている。そろっていてきれいだ。 

舞台に上がって、親に手を振ったりする子供たちはいたが、落ち着きなくばたばた走るような子供は一人もいなかった。先生も落ち着き払っていて、よくまとめていた。 

親のほうは何とかわが子をフィルムに納めようと懸命で、必死にいい席を取ろうとがんばっている。これは日本と同じ。 
そのうち、通路にまで人があふれて床に座って見ていた。これは、フランスっぽい。 

最後はI wish a merry Christmas.で一番は英語、二番はフランス語だったと思う。先生が本格的なジャズシンガーでこちらにも聞き入ってしまった。 

そのあとに数曲先生や父兄による演奏の披露があって、会はお開きした。

juin 12, 2016

過去日記(Illumination des champs elysees 2006年12月10日04:14)




クリスマスを前にChamps elysees(シャンゼリゼ)のイルミネーションを初めあちこちで奇麗な電飾が見られるようになった。今日は午前中にパリ市内の水族館に行き、暗くなってからシャンゼリゼのイルミネーションを見に、コンコルドからフランクリンルーズベルトまで歩いた。 

19世紀後半にナポレオン三世の命で、パリを中心とするイルドフランスの官選知事だったウジューヌ・オスマンが、いわば秩序なく発達してしまい大都市としての機能を果たしていなかったパリ市の大改造を手がけた。シャンゼリゼ大通りはもともとはこのときの大改造の時に建設されたものである。したがって約100歳。当時から現在の位置に凱旋門の計画があったが、予算の問題でかなり小さかったらしい。 

シャンゼリゼ大通は幅100m。車線は片側4あるいは5あると思う。交通量は多いし、沢山の観光バスが走るのだが、石畳舗装である。この舗装はアスファルトのように機械で簡単に出来る物ではなく、職人が一つづつ組み立てなくてならない代物で、維持するのはとても大変なことである。ちなみに私が住んでいる地区はほとんどがアスファルト舗装になっているが、石畳舗装の上にアスファルトを流し込んだものである。費用も技術も維持することが難しくなったのだろう。ツールドフランスのゴールはシャンゼリゼ大通であるが、石畳舗装はかなり凸凹があるので自転車泣かせではないかといつも思っている。 

でも今のシャンゼリゼが登場するのはつい10年まえの1994年のことだ。それまでのシャンゼリゼは現在の歩道として利用しているところが駐車場でしかも路上駐車が横行して車で乱れていたらしい。これに対してシャンゼリゼの地下に大駐車場を建設して、代わりに幅の広い歩道を建設したのだ。 

さて、土曜の夕刻と言うことでかなりの人通りがあってびっくりした。コンコルドから凱旋門まで約2kmあるが、この直線がずーと光で続いているのは奇麗である。電飾はくすの木に電飾が巻かれているだけなので近くで見ると単純極まりないのだが、これだけ集まると圧巻だ。


過去日記(下痢にコーラ 2006年12月05日04:12 )


とうとう娘がダウンした。昨日の晩から熱が出てぐったり。熱が高く上がったので解熱剤を飲ませてようやく寝た。 
いつもより長く寝て今朝は元気に起きたように見えたが、しばらくすると熱が出てきたのでまた解熱剤を飲ませた。結局、何度か戻したりしたので医者に電話をして予約をとり、妻に連れて行ってもらった。 

大事はなかったので安心したが、下痢だと告げたら「コーラを飲め」とアドバイスされたらしい。コーラは下痢に良いらしい。家には早速コーラが買ってあった。子供のコップにも注がれているが「これ好きじゃないんだよね」といって口を付けない。親としてはコーラやポテチのようなジャンクフードは出来るだけ口にしてもらいたくない。下痢の治りは少し遅くなるかもしれないが、まあいいか、と思った。 

ところでフランスでは解熱剤を頻繁に使う。これが利く。ドリプラン、エフェラルガンと何種類か解熱剤があるが、体重分を測って与えると半時間もすると、ピンピンしている。熱もすぐ下がる。効き目はほぼぴったり6時間。これを過ぎると熱が上がり、パタッと元気がなくなる。なので、この間にご飯を食べさせ、遊ばせて寝かす。でも、そうするとよくなるのだ。 

娘はアンパンまんを見て、飛ぶまねをしたいというので、いつものように持ち上げてやった。昨日から熱が出て、下痢したせいか、軽くなっている。 

早く元気になれ。

過去日記(子供の絵 2006年12月01日06:36)

子供は思いがけず何かをくれる。今日は家に帰ったらこの絵を持ってきた。「窓」らしい。なんだか顔がいっぱいあっておもしろい。いつも好きで見ているバーバパパが少しだけ出ているようにも思える。 

最近はよく電話に出る。電話の話し方が分かったようで、電話が鳴ると真っ先に走って取ってしまう。先日は家に帰る前に電話をしたら、子供が出て、結構長電話をしてしまった。声だけで会話が成り立つようになってきた。 

ともかく今日のこの一枚は何かよかったので写真に撮ってしまった。


過去日記(Les Huitres 2006年11月29日05:12)


牡蠣の時期がやってきた。 
昨日は今の職場の大ボスがパリに来て牡蠣をご馳走してくれた。牡蠣盛り合わせを4人前頼んだら、エッフェル塔クラスの物が出てきた。 

向かいの人の顔が隠れて見えないほどでかい皿に、隣のアメリカ人の家族連れまでが写真を取るほど。 

牡蠣自体は少し時期が早いので身が小さくて特別ではなかったが、美味かった。 

もうすぐ家の近くのカフェの横に牡蠣の屋台が立つ。そしたら買って家で食べよう。


juin 07, 2016

過去日記(Salon des vins 2006年11月27日05:34 )


またまたSalon des vinsが家の近くの催し場で開催されていたので出かけた。 

行動開始が遅いフランス人の波にもまれないように朝一番で出かけようと思ったが、昨晩はどういうわけか娘が夜泣きして、2時くらいまで良く寝付けなかったため結局お昼間際に行くことになった。 

前回行った時は地域別にブースがあったが今回はごちゃ混ぜだった。これは良し悪しで、好みが決まっている人には昨年のスタイルが回りやすいが、色々とりあえず試したい人には今年のスタイルの方が面白い。 

大体全ての地域のワインを一通り試飲した。美味しいと思ったものは2本ずつくらい買った。やはり苦手なものもある。僕にとってはシラーというセパージュが入ったのはだめだ。とても野生的、で強く、個性がありすぎて馴染まない。無理して飲むと翌日頭痛に必ずなる。これはSud ouestやProvinsのワインによく入っている。あとはコルシカ島のものもあたりはずれが大きい。 

一方、値段の割りに良いのはラングドックルシオン地方のワインだ。日本食に合うからである。ワイン産地としては新興地域で、安酒を主に造っているところらしいが、あたると非常によい。よいのは軽くて少しスパイシーですっきりしたもの。醤油を使った料理によく合う。 

ボルドー、ブルゴーニュはさすがに平均していい。値が少し張るが、出す価値はあると思う。 

今回は帰ってくる途中で道路にワインを落として1本割ってしまった。しかも一番よかったボルドーもの。残念だが仕方ない。助かったもう一本をしっかり味わおう。

過去日記(仏検 2006年11月20日02:05)

2級を受けた。パリで仏検を実施するのは5年ぶりのことらしい。 
1,2,3級が受験できる。日本には「準」がそれぞれの級の間にあるが、パリで受験できるのはこの3つのみ。 

受験者は全クラスで100人超といったほどだろうか。結構多いことにびっくりした。自分の部屋の状況からいうとうち9割ほどは女性だった。圧倒的多数だ。若い女性が多い一方で、男性は自分の様なサラリーマン風の風体がほとんどだった。 

何でも、やっていることは少しでも形にしておくことが大事だと思う。そうすることで、目標が出来るし、また、体系的にやるきっかけになる。 

試験直後に回答が配られたのは新鮮だった。合格すれば1月に面接試験だ。 

願わくば1級くらい取れるようになりたい。

過去日記(数学者広中平祐氏講演 2006年11月18日06:42)


今日は数学者広中平祐氏の講演会が日本文化センターであった。 広中平祐さんは数学のノーベル賞にあたるフィールズ章を受けた日本人数学者として著名な方らしい。例によって、無学の私は興味本位に公演に出かけた。 

「数理の翼」という会がある。これは夏休みの時期に数学や物理の得意な学生を集めた合宿で、すごくレベルが高い。高専時代に私の中のよかった友達がそれに応募し、参加したことがあるが、かなりの刺激を受けていた。氏はこの創始者だ。 

参加するのは容易ではない。当時は学校で一人だけ推薦してもらえた。その一人に選ばれるのも大変だし、選ばれたからといって、数理の翼の方でさらに選定があるので、敷居が高い。私も応募してみたが、当然落選した。 

一番心に残ったのは「教育は捨石」だ。捨石は可能性のあるところに置くが、それを守ろうとすると大変なおちいる、という理屈。 

会場には数学者らしいロンゲでメガネの方達がいた。そのスタイルに行き着くのはどうしてなのか、それが謎だ。


juin 05, 2016

過去日記(Beaujolais 2006年11月17日04:17)


定番ですが飲みました。 
今朝のニュースでボジョレーのことをやっていた。フランスはワインを飲む人口がどんどん減っている。今週はボジョレーヌウーボーだね、なんて言っても、「あ、そうだった」といった感じだ。ニュースによると生産量の半分は輸出、一番は日本で生産量の20%が渡っているとのこと。次いでアメリカ。でもアメリカも最近は消費量が伸び悩んでいるとか。 

急速に成長しているのはやはり中国。「ワインのことはあまり知らないが、あの国は吸収力がある」とコメントしていた。 
先日、France2という国営放送で中国の特番をやっていた。北京近郊でパリ風のニュータウン建設が進んでいる一場面があった。実に良く出来ていて人が移ってなければ本物のパリかと思うほど。 

でもなあ。もう20年も前になるか(げ)イワキのハワイアンセンターというところにいったことがある。変なところだった。お土産にハワイのマカダミアンナッツが買えるのだ。あれはまだあるのかなあ。一昔前は日本も同じ様に見えていたんだろうな。 

ぶどうの収穫は9月頃なので、まだ2ヶ月。そんな短い期間でブドウがワインになってしまうのだ。深みはないけど、和食には合う。安いのでがぶがぶいける。値段は近くの店で5.9~7.3ユーロだった。




過去日記(Cadeaux 2006年11月14日03:51)



娘が「ホイル、ホイル」というので何かと思ったら、feuille(落葉)のことだった。上着のポケットからいろいろ出てきた。先日は公園でやはり落ち葉を拾って、近くの仏人お母さんにあげていた。 

もうすぐ冬だね。

過去日記(Japon 2006年11月13日02:59 )


SAMURAI Japonという催しがあったので、餅が食いたいばかりに家族総出で出かけた。場所はパリ市内Bercy近くのふる倉庫を再開発した、ちょうど小樽のレンガ倉庫みたいな雰囲気のところ。 
要するに日本の庶民文化、民謡、踊り、シャンソン、チャンバラ、漫画、食事を体験してもらおうというもの。 
会場がすごい。倉庫を改造してあるのだが、超ゲテモノコテコテの内装。この中で超和風の芸が繰り返されるので、すごい迫力。 
人出もまあまあで盛り上がっていた。




過去日記(じいちゃん婆ちゃんの活躍 2006年11月11日17:10)

友人の旦那さんが上海に転勤になるということで、来週は夫婦そろってアパート探しに上海に行くらしい。このご夫婦にはお子さんが2人いてその長女とうちの娘は同級生なので懇意にしてもらっている。 
子供を連れて行くのかと思ったらそうではなく、旦那さんのお母さんがパリまで出てきて子供を2人とも面倒を見るそうだ。 

フランスの子育てと日本の子育ては沢山違うところがあり、寒心するところが多い。その中でも、じいちゃん婆ちゃんの助けは感心してしまう。 

フランスは夏に長期の夏のバカンスを取る習慣があるが、特に若い夫婦は子供を両親にポイッと預けて二人だけでどこかに行ってしまう。子供は物心つく前から一年の1ヶ月くらいは親から離れて暮らしている、ということになる。 

なので、仕事で1週間出かけるからよろしくね、というのは当たり前だし、面倒を見る親御さんにとっても他愛もないことなのであろう。 

もっとも、子育てに対して、「手を出すが、口も出す」らしい。「手は出さないが、口は出さない」あるいは「手は出さないが、口は出す」は、わが国の姿か。


juin 02, 2016

過去日記(Bordeaux 2006年11月07日04:58 )


Bordeaux旅行から帰ってきた。旅行中に買ったワインを数えたら21本。うちいくつかは娘が20になったら開ける予定。 
あと17年か。長いなあ。 
シャトーの人たちは本当に丁寧に対応してくれた。ボルドーの広大なワイン畑と高い空を見ていると人間が地面にへばりついている気がしてくる。




エチハド



ケニアへの出張に今回はエチハド航空を利用した。経由空港はアブダビ、アラブ首長国連邦。


ここからアメリカに向かう旅行客が多いらしく、入国手続きのアナウンスが何度かあった。携帯電話などのデバイスは入国審査時に電源を入れないといけないらしい。電源が入らない場合は、没収になるとのことで、充電を忘れないようにと注意があった。
海外に初めて行ったのはアメリカ、シアトル空港だった。もう30年前だ。今でも空港を降り立った時のクロワッサンのような匂いを思い出す。