décembre 26, 2006

Coppélia




コッペリアを見に行った。サイトで調べると、いろいろな話があるようなのだが、ガルニエで購入したプログラムによると次のようなあらすじとなっている。

Spalanzani博士が隠し持っている「娘」がいるのであるが、これは実はCoppelius博士と一緒に作った人形であった。この美しい人形に彼は魂を吹き込みたいと考えている。。。。というのが話の筋。

登場人物は主役の青年フランツ、村の美しい娘スワルニダ、スパランツアニ、コッペリア博士

フランツは綺麗なスワルニダに恋をしている。彼は都市に科学を学びに行くのであるが、それを終えて村に帰ると村にスワルニダを狙う恋敵がいることを知る。それは自分の家を実験室に改造し何かを研究しているとうわさされているCoppelius博士であった。

コッペリウス博士は好奇心に満ち溢れるスワルニダに自分の実験室の鍵を渡す。スワルニダは彼女の友達を連れて実験室に忍び込む。

実験室にはたくさんの仕掛け人形が置いてある。これらの人形のコミカルなダンスを楽しんでいると、スワルニダはそのうちに大きな本を見つけ、その中に自分そっくりの人形を見つける。

どういうことかわからず、パニックになるスワルニダを後から入ってきたフランツが救う。コッペリウスは自分の夢かなわず、舞台から去る。

(プログラムによるとコッペリウス博士が老人、スパランツアニがフランツの恋敵、のように書かれているが、バレエの配役では、コッペリウス博士の方が若く、スパランツアニが老人のようになっていたと思う)

バレエダンスには悲劇が多いのだが、これはハッピーエンドでまた途中に出てくる人形のコミカルな動きがあったりしてとても楽しいものだった。

演出 Patrice Bart
Swanilda, Nolwznn Daniel
Frantz, Alessio Carbone
Coppélius, Wilfried Romoli
Spalanzani, Fabrice Bourgeois

décembre 17, 2006

Les Chorists




とは合唱団のこと。

今日はクリスマス前に幼稚園で父兄を招いた会があった。 園児全員の座ることのできるステージが用意されていて、そこで今年(9月から)練習してきた歌を先生の指揮で大合唱。

父兄には子供が書いた絵をうまくモチーフしたプログラムが手渡された。曲目は14曲。全曲をみんなで合唱、中には輪唱もあったり。

「白服を着てきてください」ということであったが、女の子は頭に赤い飾りを、男の子は胸に青い飾りをつけてもらっている。そろっていてきれいだ。 舞台に上がって、親に手を振ったりする子供たちはいたが、落ち着きなくばたばた走るような子供は一人もいなかった。先生も落ち着き払っていて、よくまとめていた。

親のほうは何とかわが子をフィルムに納めようと懸命で、必死にいい席を取ろうとがんばっている。これは日本と同じ。 そのうち、通路にまで人があふれて床に座って見ていた。これは、フランスっぽい。

最後はI wish a merry Christmas.で一番は英語、二番はフランス語だったと思う。先生が本格的なジャズシンガーでこちらにも聞き入ってしまった。

そのあとに数曲先生や父兄による演奏の披露があって、会はお開きした。

幼稚園のクリスマス会






















フランスの幼稚園は水、日が休みで、土曜日は隔週で午前中のみある。今週は学校のある週だったのだが、クリスマスを前に親御さんを招いた会があった。

幼稚園の子供たちが全員座ることのできるステージが用意されていて、年長の子供が上、年少の子供が下のほうに座り全員で合唱をするものだった。

幼稚園に入ると、自分の子供が書いた絵を表紙にしたプログラムが親に手渡される。これもよくできている。プログラムには合唱する曲目とその歌詞がつづられている。 シンプルだがよくできている。

曲は全てで14曲もあり、多いので最初はクラスごとに歌うのだろうと思っていた。
ところが始まってみると全員が全ての曲を歌うのでびっくりした。

会の最後は先生や父兄による舞台もあり、これもハイレベルなものだった。

子供たちも堂々としたもので舞台から親に向かって手を振っている子がたくさんいた。

décembre 11, 2006

パリの自転車道













先日読んだAsahi.comの記事では日本で近く歩道上を走る自転車のルー作りを進めるとか。現在は歩道上の自転車の走行は道路交通法上は走行が許されていないものの、自転車が安全に走ることが出来る路肩がほとんどない状況を見て、運用上、自転車が歩道上を徐行することが許されている。

問題は自転車が加害者となる事故が急増していることであり、「改正法案では、車道左側端を通行する原則を維持するが、「子どもや高齢者、買い物目的での利用」と、「車道通行が著しく危険な場合」に限って歩道走行を認めるべき」としているとのこと。

歩道上を自転車が通行できるのは世界的には珍しいルールだ。パリでは自転車が走行できるのは車道のみとなっている。フランスの道路法上で歩道上の自転車通行を許可しているのは子供(確か8歳?)と障害者の車椅子のみときっちりと決めている。

これができるのは自転車が安心して走ることの出来る自転車道があるからである。また、自動車運転手にとっても自転車は車道を走る交通手段だという認識ができているからである。日本ではこれが中途半端で、車道を走っても歩道を走ってもお邪魔虫である。

現在、パリではドラノエ市長の肝いりで、車道を減らして自転車道がどんどん整備されている。自転車道だけでなく、この12月からはパリ市内で初めてトラム(市電)が開通する。自分がこっちにきた2年ほど前から比べてもかなり変化ができたと思う。もっとも、フランスは自転車交通政策では後進国の部類で、デンマークやオランダなどはかなり進んでいるのであるが。

安全性を考えれば自転車と歩行者を分離する方法が一番確実で簡単だ。でも個人的には歩道上を自転車が走ることは良いことだと思う。スペースの使い方が非常に有効的で日本の現状にふさわしいと思うからだ。まだ、どう決めたって日本の道路の現状では自転車は歩道上を走るに違いない。

いずれにしても、もっと自転車が走りやすい環境を作らなくてはならないと思う。自転車の運転者だけを悪者にするのではなく、共有するという視点で考えて欲しい。

décembre 07, 2006

SOS Dauphin

日本大使館は安全情報としてテロや鳥インフルエンザ等に関する情報を在仏日本人に対して配信している。
昨日はSOS Dauphinという環境保護団体が日本のイルカ漁に対する抗議行動をすることを宣言したので気をつけるように、というものだった。

いくら気をつけても来るものは防げないので、出来るのは暴力的なことにならないことを祈るだけだ。半年ほど前も、ホームレスを保護している団体が大阪のとある公園のホームレスの一斉排除に抗議して、ある日本機関に対して抗議運動をした。攻撃された方はホームレスとは全く関係のない活動をしているのに、とんだ災難だ。情報はあちら側でも共有されているようで、この日本機関はSOS Dから予告電話を受けたらしい。かわいそうに。

イルカ、クジラに対するこの手の極端な保護活動については全く賛同できない。ましては、一羽一絡で無差別に日本人を攻撃する行動は、無差別テロに等しい。

décembre 05, 2006

下痢にコーラ



とうとう娘がダウンした。昨日の晩から熱が出てぐったり。熱が高く上がったので解熱剤を飲ませてようやく寝た。 いつもより長く寝て今朝は元気に起きたように見えたが、しばらくすると熱が出てきたのでまた解熱剤を飲ませた。結局、何度か戻したりしたので医者に電話をして予約をとり、妻に連れて行ってもらった。

大事はなかったので安心したが、下痢だと告げたら「コーラを飲め」とアドバイスされたらしい。コーラは下痢に良いらしい。家には早速コーラが買ってあった。子供のコップにも注がれているが「これ好きじゃないんだよね」といって口を付けない。親としてはコーラやポテチのようなジャンクフードは出来るだけ口にしてもらいたくない。下痢の治りは少し遅くなるかもしれないが、まあいいか、と思った。

ところでフランスでは解熱剤を頻繁に使う。これが利く。ドリプラン、エフェラルガンと何種類か解熱剤があるが、体重分を測って与えると半時間もすると、ピンピンしている。熱もすぐ下がる。効き目はほぼぴったり6時間。これを過ぎると熱が上がり、パタッと元気がなくなる。なので、この間にご飯を食べさせ、遊ばせて寝かす。でも、そうするとよくなるのだ。 娘はアンパンまんを見て、飛ぶまねをしたいというので、いつものように持ち上げてやった。昨日から熱が出て、下痢したせいか、軽くなっている。

早く元気になれ。

décembre 04, 2006

お経について

事務所を訪れた人がお土産に機内で呼んだ文藝春秋(06.12)を置いていってくれた。普段はあまり読まない本であるが、日経新聞ばかりの環境にやや飽きがきていたので手にとって読んでみた。

その中に、柳澤桂子(生命科学者)、玄侑宗久(臨済宗副住職)という方の手紙のやり取りを記事にしたものがありとても興味深かった。
一人は科学者、もう一人は宗教者である。科学者である柳澤氏が自らの体験をおりまぜて般若心経にかかる現代語訳を出版した。ここでは科学と神(神秘)について科学者と宗教者が書簡を通じて意見を交換するというものである。単なる科学vs宗教というものではなく、お互いの根本的考え方についてよく説明がありなるほど、と思うところが多い。そういうところをメモする。

お経について

般若心経は大乗仏教の信条が記述されているらしい。私は読んだことはないのでその内容はさっぱりわからないが、お経は葬式などで何度か聞いたことがある。

お経で最も大事なのは暗記して声を出して唱えることだという。暗記するというのは考えることなく言葉とリズムが出てくること。これにより、覚めているのに何も考えていない状態が出来、耳は澄み、目は全体を眺めるようなめざしになる、という。この状態は、全てが見え、全てが聞こえていながらそれを取捨選択する分別や好き嫌いが発生しない。

したがって、お経の原点はインドにあるのだが、それを約していく過程において意味よりも音を重視している箇所がある。特に「あ」「う」「お」の音が大事にされたということ。これは他の宗教でもいえることであり、「アーメン」や「ナーム」という文句は音に意味がある。

禅問答

自分を通す回答は通してもらえない。禅とは全体性、つまり宇宙となること。ということは自分という殻から抜け出すことである。

よく分かる説明だし、本質的だと思った。
自分がやっている少林寺にも鎮魂業というのがあり、難しい文句を覚えなくてはならないのであるが、その意味を考えようとすると、どうも規範的過ぎて馴染めなかった。でも、その文章の意味ではなく音にも意味がある、ということは、重要である。なぜそれをしなくてはならないのか、という基本的質問に答えているからだ。

décembre 01, 2006

大陸法的思考

世界の法律は大きく分けると大陸法と英米法に大分されるらしい。
大陸法というのはローマ法を起源としたヨーロッパ大陸の諸国における法律に共通した考え方で、英米法というのはイギリスを起源とした主に英国とアメリカにおける法律の共通した考え方ということ。

ごく簡単にいえばこの二つの違いは大陸法はものごとを始める前に隅から隅まで法律で形を作り上げることを目指巣のに対し、英米法は法律で定めるのは基本的原則のみで、あとは判例を積み上げていこうという志向の違いにある。ちなみに日本の法律はドイツ法の影響を強く受けているので大陸法に近いらしい。

フランスには大量の法律がある。何年何日付け何とか法と日付で管理されていることがおおく、法律が多い上に改訂をどんどんしていくのでフォローが大変である。法典として1冊にまとまるには時間がかかるらしく、ジョークだが、弁護士になると関連する法律書をあまりにたくさん開かなくてはならないので「首の骨が折れる」という。

別の言い方をすれば、大陸法は演繹的、英米法は帰納的ともいえる。演繹的ということは理路整然としたロジックが全てであるから法を扱うことは非常に高度で特殊なこととなる。したがって弁護士等の法律に関わる職業、つまり法律に基づいて意思決定を下すという行為はきわめて高度な専門職となる。
一方、英米法が帰納的ということであれば、つまり自分の日常生活レベルのことから照らし合わせていって良し悪しを判断することになるので法律はおのずと庶民的になるのであろう。実際、アメリカは訴訟社会で一般の人も何かあればすぐに裁判をするし、それができる土台があるようである。この場合、大陸法とちがって法律に基づいて意思決定をするということは、英国法ほど高度ではないということになるのだろうか。よく分からないが米国で陪審制度が成り立つのは、そもそもの基本的な法律の考え方がそれに馴染むように出来ているからであるのではないかと思う。

日本でも陪審制度を取り入れるために取り組んでいる最中であるが、いつかこういう根本的なところが綻びの発端になることもあろう。ということを認識しておくべきだと思った。

こういった法律の考え方の差に関係があるのかないのか分からないが、フランス人を見ていると「型にはめて」考える傾向があるように思える。例えば、こちらの人は道にポイポイごみを捨てるし犬の糞はほったらかしであるが、「私は捨てる人」「あなたは掃除する人」と割り切っているように見える。あたかもどこかの(法律に)書いてあるかのように。まあ、この場合は実際の法律には日本のように公道にごみを捨てたりたち小便したら罰金刑になるのだが。これは職業の例。

学歴についてはもっと顕著だ。フランスは大学の授業料が無料。留学生でさえも基本的はタダで勉強させてもらえる。なんだか羨ましいように思えるがそうでもない。というのも、大卒は「型」としては低くはまっているからだ。大学にはほとんど無競争で入れる一方で、非常に厳しい競争を勝ち抜いたものでなければ入ることの出来ないグランゼコールという高等教育学校がある。この学生や卒業生に与えられる「型」は格別で、民間企業幹部、行政官、政治家のほとんどを占める。有名なのはシラク大統領や今度社会党からの大統領候補になったロワイヤル氏が出たENAである。彼らエリートは就学中もすさまじい量の勉強をするらしい。

先日ロンドンに行ってきて思ったのだが、ロンドンにもインドやアフリカ出身者、中国人らがたくさんいる。でもすごく社会に溶け込んでいるようである。
一方、わがパリを見ると、全然違う。貧富の差、人種の差、出身国の差は歴然だ。この違いも大陸法的な「型」が原因ではないかと思う。フランス人の多くが、黒澤明や小津安二郎の映画を好んでみているが、これも言ってみれば彼らの日本人の「型」にちょうど嵌っているからではないかと思う。

子供の絵


子供は思いがけず何かをくれる。今日は家に帰ったらこの絵を持ってきた。「窓」らしい。なんだか顔がいっぱいあっておもしろい。いつも好きで見ているバーバパパが少しだけ出ているようにも思える。

最近はよく電話に出る。電話の話し方が分かったようで、電話が鳴ると真っ先に走って取ってしまう。先日は家に帰る前に電話をしたら、子供が出て、結構長電話をしてしまった。声だけで会話が成り立つようになってきた。

ともかく今日のこの一枚は何かよかったので写真に撮ってしまった。

novembre 27, 2006

Sholin Karate



少林寺の先生が「ショーリンカラテ」という少林寺拳法の創始者の宋道臣の映画がDVDで出たというのでFNACにいそいそと出かけて探した。
あった、「Sholin Karate」、しかも撮影は1975年。でもこれも一つの縁だと思って迷わず購入した。

協力社団法人少林寺拳法(昔は社団法人だったのか)と大きく出ている代物だが、内容はかなり激しいものだった。

少林寺をはじめた時に創始者の宋道臣は戦後の荒廃した日本を立て直すために、それを担う若者を育てるために拳法を教えることをはじめた、とおそわった。この映画を見てよかったのは、その荒廃した時代が生々しく映像になっていることだった。
宋道臣は圧倒的に腕っ節が強くまた正義感も強い。このような人であったからこれだけの弟子が出来たのだと思った。

映画のアクションの部分も少林寺の特有の技が実践的にたくさん出てきて、こちらもためになりそうだ。DVDに同封されていたパンフレットに面白い写真が一枚あった。千葉真一と本物の宋道臣が写っているものである。おそらく映画を撮影する際に、動きのアドバイスを受けている一幕だと思われる。

隣でパソコンを打っていた奥さんはなんども「それ面白いの?」と聞いたが、こんな人だったのか!こんな映画があったのか!と心底感動した、というのが正直なところだ。

あらすじを紹介しているブログがあったので勝手にコピーした。
http://www.h2.dion.ne.jp/~redbat/movie/31shorinken.html

Salon des Vins


またまたSalon des vinsが家の近くの催し場で開催されていたので出かけた。

行動開始が遅いフランス人の波にもまれないように朝一番で出かけようと思ったが、昨晩はどういうわけか娘が夜泣きして、2時くらいまで良く寝付けなかったため結局お昼間際に行くことになった。

前回行った時は地域別にブースがあったが今回はごちゃ混ぜだった。これは良し悪しで、好みが決まっている人には昨年のスタイルが回りやすいが、色々とりあえず試したい人には今年のスタイルの方が面白い。

大体全ての地域のワインを一通り試飲した。美味しいと思ったものは2本ずつくらい買った。やはり苦手なものもある。僕にとってはシラーというセパージュが入ったのはだめだ。とても野生的、で強く、個性がありすぎて馴染まない。無理して飲むと翌日頭痛に必ずなる。これはSud ouestやProvinsのワインによく入っている。あとはコルシカ島のものもあたりはずれが大きい。

一方、値段の割りに良いのはラングドックルシオン地方のワインだ。日本食に合うからである。ワイン産地としては新興地域で、安酒を主に造っているところらしいが、あたると非常によい。よいのは軽くて少しスパイシーですっきりしたもの。醤油を使った料理によく合う。

ボルドー、ブルゴーニュはさすがに平均していい。値が少し張るが、出す価値はあると思う。

今回は帰ってくる途中で道路にワインを落として1本割ってしまった。しかも一番よかったボルドーもの。残念だが仕方ない。助かったもう一本をしっかり味わおう。

novembre 25, 2006

崩しと点

毎週水曜日は少林寺の練習をしている。
今日の練習は色々と宿題をもらった。
そのうちの一つは「点」。崩しをかけるときに点を意識するようにいわれた。
つまり、逆小手でも送小手でも他のどんな技でもいいのだが、崩した相手の状態が点で支えられていることである。これが、線や面になっていると、かからない、あるいは力ずくでかけるということになる。

崩した後は投げになるわけだが、このときも点が重要。つまり投げている支点がぶれないことである。
もう一つ思い出したが手先ではなく相手の肩を決めることを意識することが重要。

この方法がいいのはやはり効くからである。上膊取りを崩し+肩の極めで掛けられたら声が出せないほど効いた。

しかし、やるのは簡単でない。いつになったら出来るようになるか。

勤労感謝の日


勤労感謝の日、娘が幼稚園で絵を描いてきた。
幼稚園の先生の書いた日誌を読むと「特徴をとらえて書いていました」とあった。確かにそうだ。

ついこの前まで、目なのか鼻なのか良く分からない顔を書いていたが、もうしっかりと顔だと分かる。

novembre 20, 2006

仏検

2級を受けた。パリで仏検を実施するのは5年ぶりのことらしい。
1,2,3級が受験できる。日本には「準」がそれぞれの級の間にあるが、パリで受験できるのはこの3つのみ。

受験者は全クラスで100人超といったほどだろうか。結構多いことにびっくりした。自分の部屋の状況からいうとうち9割ほどは女性だった。圧倒的多数だ。若い女性が多い一方で、男性は自分の様なサラリーマン風の風体がほとんどだった。

何でも、やっていることは少しでも形にしておくことが大事だと思う。そうすることで、目標が出来るし、また、体系的にやるきっかけになる。

試験直後に回答が配られたのは新鮮だった。合格すれば1月に面接試験だ。

novembre 19, 2006

White Darkness



今日は娘をベビーシッターに預けてガルニエのオペラ座にバレーを見に行った。

題目は
AndréAuria
White Darness
Amoveo
の3つ。内容はコンテンポラリー。演出家はそれぞれEdourd Lock、Nacho Duato、Benjamin Millepiedだった。

以前白鳥の湖を見に行ってすごく感動したことがあるが、そのときに踊っていたAurélie Dupontが3つ目の題目で出る予定だった。

それぞれ演出は特徴的だったが、特に2番目のWhite Darknessはよかった。主役のMarie-Angnès Gillotの冴えた踊りには目を見張るものがあった。背が高いということもあるが、動きにぶれがなくて体の動きの軌跡がいつまでも残るように見える。ステージ自体は非常にシンプルだが、「砂」を天井から落とすことと丸と四角の照明の組み合わせがとても良くアクセントをつけていた。
時間も短く、一息で飲みきった生ビールののど越しだった。

novembre 18, 2006

数学者広中平祐講演会(Paris)




今日は数学者広中平祐氏の講演会が日本文化センターであった。 広中平祐さんは数学のノーベル賞にあたるフィールズ章を受けた日本人数学者として著名な方らしい。例によって、無学の私は興味本位に公演に出かけた。

「数理の翼」という会がある。これは夏休みの時期に数学や物理の得意な学生を集めた合宿で、すごくレベルが高い。高専時代に私の中のよかった友達がそれに応募し、参加したことがあるが、かなりの刺激を受けていた。

参加するのは容易ではない。当時は学校で一人だけ推薦してもらえた。その一人に選ばれるのも大変だし、選ばれたからといって、数理の翼の方でさらに選定があるので、敷居が高い。私も応募してみたが、当然落選した。

いい話を沢山聞けたので、メモとしてここに残す。

数学とは何か。目に見えなくて大切なものを捜し求めることだ。Les mathematique sont la matrice de la science et de la technologie.

氏は15人兄弟のうちの真ん中あたりに生まれたということだ。
「教育は捨石」可能性があれば置いていくが、守ろうとするとひどい目にあう。

20代の時にアメリカに留学し、その後にフランスのIHES(数学研究所)に客員研究員として招聘されている。ナノでフランス語も堪能である。氏の憧れだったフランスの数学者は
Jean Leray
André Weil
Jean Dieudonné
Laurent Schwaltz
Henri Carton
Jean-Pierre Serre

留学で学ぶことは沢山あったが、特に自分のあこがれた先生の周りに集まる同世代の若者、そして海外で出会う日本人との交流に学ぶことが多かった、という。これについては全く同感である。人間関係は「相手に関心を持つこと」だ、というがその通りだと思った。

さて、話はフランスの数学研究所IHESに移る。氏にとってのかけがいのない場所だ。ここで学んだことは次の二つ。
・小さく生んで大きく育てる
・人ありき
数学研究所は4人で始まった。当然図書館や資料室などはない。だからパリに作った。図書館は市の(国の)図書館だ。設立の経緯もあるドイツからフランスへのGrothendickという亡命者の才能を見抜いたこと、厳しい時代で人を第一に置いたことが重要だったという。
一方、日本を振り返ると、例えば大学や研究所の設立ということになると文部省は教員の数、施設などを第一の問題とする。「組織ありき」となっているのである。問題は、発展している間はいいが、縮むときは大変だ、ということである。極力小さく、成長を楽しむくらいが調度いい。

数学者のミッションとして分かりやすい説明があった。
①無限大の有限化
世の中はわからないことばかりで無限大に見えるのだけど、近似的でも分解でもいい、それを少しでも分かるように、つまり有限にして説明すること。
②極難極易の表裏一体
数学は難しいから意味がある。でも難しいが一度分かれば紐が解けるように簡単なのだ。これは現在の情報化社会で必要なツールになりつつある。つまり、情報が氾濫するので、それを守るために鍵が必要。鍵は悪用する人にとっては仮に手に入れたとしても非常に使いにくいもので、本人にとってみれば簡単に使えるものであることが理想。これを実現するのは数学である。
③仕立屋理論学の発展
実は数学者は実用的なことにとても興味がある。
④抽象化と具象化の推進
数学は時として抽象的なのであるが、その答えは方程式でありとても具象的
⑤普遍構造の建設と啓蒙

公告のセンス

パリの北部Seine-Sait-Denisに路面電車と都市間列車の中間的なtram-trainが近く開通する。この開通に先立ってSNCF(フランス国鉄)が新聞に公告を出したのだがこれが面白かった。

最初の写真は電車に白い布が乗っかっているもので、公告はこれだけ。一言も説明がない。

次は少し顔を出して「Ni tram,ni train(トラムでも電車でもない)」とだけ。

そして顔を出す。「Mi tram, Mi train.(半分トラム、半分電車)」

その後に開通祝いの無料キャンペーンの宣伝だ。

フランスにはこういう奇知の利いた公告が多くて面白い。





novembre 17, 2006

Beaujolais


定番ですが飲みました。

今朝のニュースでボジョレーのことをやっていた。フランスはワインを飲む人口がどんどん減っている。今週はボジョレーヌウーボーだね、なんて言っても、「あ、そうだった」といった感じだ。ニュースによると生産量の半分は輸出、一番は日本で生産量の20%が渡っているとのこと。次いでアメリカ。でもアメリカも最近は消費量が伸び悩んでいるとか。 急速に成長しているのはやはり中国。「ワインのことはあまり知らないが、あの国は吸収力がある」とコメントしていた。

先日、France2という国営放送で中国の特番をやっていた。北京近郊でパリ風のニュータウン建設が進んでいる一場面があった。実に良く出来ていて人が移ってなければ本物のパリかと思うほど。 でもなあ。もう20年も前になるか(げ)イワキのハワイアンセンターというところにいったことがある。変なところだった。お土産にハワイのマカダミアンナッツが買えるのだ。あれはまだあるのかなあ。一昔前は日本も同じ様に見えていたんだろうな。

ぶどうの収穫は9月頃なので、まだ2ヶ月。そんな短い期間でブドウがワインになってしまうのだ。深みはないけど、和食には合う。安いのでがぶがぶいける。値段は近くの店で5.9~7.3ユーロだった。

今日飲んだのはBeaujolais Premierというランクのもの。これ以外にBeaujolais Neuveaux、Beaujolais Villageとか種類がある。アルコール度は12%で低め。セパージュはガメイ種。
美味いまずいは作り手によってかなり違ってくるので一言で言えないが、昨年の出来は本当に良かったと思う。もし可能であれば昨年のものと飲み比べてみたいものだ。

novembre 16, 2006

少林寺拳法


毎週水曜日は少林寺拳法の稽古をしている。Vaugirard同院で職場からすぐ近くである。先生はマグレブ出身のフランス人で6段である。(http://shorinji.club.fr/index.html

フランスで武道といえばやはり柔道。次いで空手だろうか。
Vaugirard同院は市の体育館のバレースタジオを借りてやっている。体育館においてあるチラシを見ると、空手、合気道、テコンドー、少林寺拳法、Karate artistiqueなるものもあり、人気がある。この体育館で一番人数が多いのはテコンドーだろうか。オリンピックの種目になったことがかなり影響があったらしい。

フランスの少林寺拳法は青坂寛先生がトップで指導をしている。日本であれば私みたいなぺーぺー拳士は話をするチャンスなど到底ないような方だが、こちらでは数少ない日本人の同門として懇意にしていただき本当にありがたい。先生は30年程前に単身でヨーロッパに来て少林寺拳法を広めた方である。

私がこちらで少林寺拳法を再開した当初、2005年の冬のことだ、同院の皆で食事をする機会があった。そのときはOpera近くのSaint Anneどおりにある「yasube」でやった。青坂先生ももう60歳になられるので、先生に青坂先生が引退したら誰か他に日本から来るのか?と聞いた。帰ってきた返事は「Maître Aosakaの代わりはありえないだろう。彼はボスになるために生まれてきたようなヒトだ」というものだった。青坂先生ご自信の中でも彼は5本の指に入る弟子だという。実に野暮なことを聞いてしまった。

上手くなるためのコツがあるという。それは「明るいこと」「頭が良いこと」「心が良いこと」だという。確かにそうだ。結局のところ稽古は一人では出来ない。必ずパートナーが必要であるが、いいパートナーを得るためには明るい方が良いし、心が良いほうがいい、そして体系的に理解する頭の良さは上達に欠かせない。

ともかく、折角やっているのだから少しでもこういった理想に近づけるようになりたいと思う。

novembre 15, 2006

Weather Report


今日はTSF(http://www.tsfjazz.com/)でWeather Reportのライブを延々と流していた。ジョーザビヌルがシンセサイザー、ジャコパストリアスがベース。ウエインショーターがアルトとソプラノサックス。好きなミュージシャンは沢山いるがサウンドとしては一番好きだ。チャンバルといったっけ、半円形のおわんをひっくり返したような形の楽器が絶妙な味を出している。

高専のときにブラスバンドに入った。運動系のクラブに入るのが嫌だったのと初心者でも歓迎、となっていたからで、音楽の知識ゼロで始めた。楽器の知識がないので誘われるままにクラリネットをやることになった。今思えば本当にいい楽器をやったと思う。

そのときに仲のよかった仲間がジャズ好きで、彼らの影響を受けてこのWether Reportやカシオペア、スクエアなどを沢山聞いた。

http://www.youtube.com/watch?v=eTCLn4laVaI

novembre 14, 2006


娘はカバのことを「カボ」と言う。

奥さんの料理の先生(仏人)の話。

その先生が英語を学んでいたときのことだ、クラスにはヨーロッパの国、アメリカ、日本と国際色豊かであった。あるとき、カバという単語が出た。英語でカバはhippopotamus、仏語はhippoporame、イタリア語、スペイン語、もこれに似た言葉だったらしい。「日本語は?」と聞かれた、日本人の生徒は「カバ」と答えたのだが、他の生徒はあまりの差に「。。。」だった。そこでその日本人は「カバだけじゃないんです。あなた達の言葉と私達の言葉は本当に違うんです。」と力説。みんなよく分かったらしい。

この経験があってこの方はフランスに来る日本人がフランス語でいかに苦労しているのか分かってくれているらしい。 ありがたいことだ。

novembre 13, 2006

死ぬな大人

毎朝、インターネットで日本のニュースをチェックするのが日課であるが、最近、嫌気が差しつつある。なんと痛ましい事件の多いことか。特にここ最近の自殺関連のニュースには心が痛む。TBSのサイトで主だったニュースをネットで見ることができるが(これは連続して10個のニュースを見れるので愛用)、あるときはあまりにも自殺のニュースが多く、それを省いて選んだら10個に達さなかったことがある。

いじめ、談合、裏金、理由隠し、偽造、次から次へ膿がとめどなく出ている。先日左手の薬指で何かの弾みで静脈をいためて、ほんの小さな傷口だったが血が止まらず、ほっておいたら血豆になった。それでも止まらず結局それを切除したのだけど、そんな感じ、止まらない。

死ぬな大人。そんな仕事とっとと辞めてしまえ。子供達は死ねばいいと思うぞ。あんた自信が悪いんじゃない。
死ぬな子供。本当にかわいそうなのは君の目の前のその子だ。だから死ぬな。

といいたくなる。

novembre 12, 2006

Chateâu Larmande, Chateâu Soutard


いつも親しくしてもらっている友人と先日行ってきたボルドーワインで一杯やった。左はChateâu Larmande右はChateâu SoutardのVin de Presse。サンテミリオンのワイン。Vin de Presseとはワインのアルコール発酵の過程で生じるブドウの種や皮などの不純物を搾って作るワイン。通常のワインに混ぜてしまうことが多いらしいのだが、これだけをボトルにつめていたので試しに買ってみた。
Larmandeはシャトー訪問時に飲んだのは2003年だったが、今回は1999年。年が経っている分全体的に大人といった漢字だ。2003年はタルの木のにおいが強く(これが好きなヒトもいるらしいが)、よーくグラスをぐるぐるして空気に触れさせないと味がにおいにかき消されてしまう気がした。

酒のつまみは奥さんが作ったバスク風チキン、パプリカ、トマト、たまねぎの野菜の水だけで鶏肉を煮込んだもので、これも結構美味しかった。

子供が眠くなってきたので9時半頃にお開きした。

novembre 11, 2006

じいちゃん婆ちゃんの活躍


友人の旦那さんが上海に転勤になるということで、来週は夫婦そろってアパート探しに上海に行くらしい。このご夫婦にはお子さんが2人いてその長女とうちの娘は同級生なので懇意にしてもらっている。 子供を連れて行くのかと思ったらそうではなく、旦那さんのお母さんがパリまで出てきて子供を2人とも面倒を見るそうだ。

フランスの子育てと日本の子育ては沢山違うところがあり、感心するところが多い。その中でも、じいちゃん婆ちゃんの助けは感心してしまう。 フランスは夏に長期の夏のバカンスを取る習慣があるが、特に若い夫婦は子供を両親にポイッと預けて二人だけでどこかに行ってしまう。

子供は物心つく前から一年の1ヶ月くらいは親から離れて暮らしている、ということになる。 なので、仕事で1週間出かけるからよろしくね、というのは当たり前だし、面倒を見る親御さんにとっても他愛もないことなのであろう。

もっとも、子育てに対して、「手を出すが、口も出す」らしい。「手は出さないが、口は出さない」あるいは「手は出さないが、口は出す」は、わが国の姿か。

この「きこえ」はなに?


娘が3歳になってから言葉を覚えるスピードの勢いが急激に加速したと感じる。語彙においてもそうであるが、作文というかロジックがかなりしっかりしてきた。また、自分は寡黙な部類であるが、娘は「機関銃」に近く、ずっとしゃべっている。ロジックがしっかりしてくると、ごまかしが聞かなくなるので親としても適当なことが言えない。昨日は「約束」ということについて、娘がしっかりと理解しているんだな、と感じた一幕があった。

夕方帰宅すると娘が「イチゴのお菓子食べたい」と言う。週末だし、今行っている現地幼稚園はおやつがないのであげることにするが、あまり食べ過ぎて夕食を食べないのは困るので「夕食を全部食べるんだよ」といってあげることにした。娘は「ハイ」と返事。
さて夕食時、残りあと少しというところで、想像通り「もういらない」と言い始めた。そこで「さっきお約束したでしょ。ハイって言ったでしょ」というと、「うん」といってまた食べ始めた。以前は言うだけでは、話が通じない、ことが多かったが、この晩は「自分が言ったことはやらなくてはならない」ということを娘はしっかりと分かっている様な気がした。

ところで、日本語もそうだがフランス語のほうも口数が多くなってきた。でも、かなりめちゃくちゃの様子。幼稚園の帰りに公園に寄って遊んでから帰るのが日課になっているが、娘は公園で「べらべら」と仏人奥様相手にやっているらしい。でも相手方は「???」で、妻が「彼女はこういうことを言おうとしている(と思う)」と通訳しているらしい。
これについてもすごい、と思うことがあった。サンテミリオンに旅行に行った時の夕食時、娘は自分の水がないので欲しい、と言い始めた。近くをウエイターが通った時「Monsieur, je veux d'eau,s'il vous plaît.」と言って水を自分で頼んでしまったのだ。私にとってはこの「水」、「d'eau(ド)」は発音が難しく、いつも困りものだったのだが。さすがだ。

でも、何か音がすると「この、きこえ、はなに?」と言っている。
どんぐりころころの歌も「どんぐりころころどんぐりころ」と言っている。

変だけど、これもロジックに感じる。

novembre 10, 2006

少林寺再開

事情があって春先から中断していた少林寺拳法の稽古を再開した。2月に受けた昇段試験も書類上の問題があったのだが何とかなる様子で安心した。(2段になるためには国際練習 le stage internationaleを2回以上受けてないといけないという規定があったため)
久しぶりに練習に出たら、あたらしい仲間が何人か増えていた。今日は級拳士の練習相手になって基本的な技をやりながら体を慣らすことに専念した。

novembre 09, 2006

地域間格差是正に対するフランスの取り組みと問題


フランスでは地域格差是正のためにどのような政策が取られているか?という宿題を頂いた。

フランスは広大で豊かな土地と、ヨーロッパの他国にもれず、陸でつながる隣国との複雑な歴史があり、その多様さは島国であるわが国よりも大きい。とりわけ仏国内に居住する移民の割合高さと出身国の種類の多様性は特徴的である。手元にある新聞記事の切り抜きによると2004年の仏国の移民の占める割合は8.1%となっており、日本は世界でも最低レベルの0.3%、また日本の75歳以上の高齢者の割合が8.2%ということなので、日常的には日本でご老人を見かけるのと同じ頻度で移民行き当たると想像すると分かりやすいかもしれない。また、日本では少子高齢化が大きな問題となっているが、問題の質は違うものの8.1%という割合がいかに大きな影響力を持っているかを想像する事ができる。

なお、出身国で見ると突出して多いのがアルジェリア、モロッコ、ポルトガル、でアジア地域からはベトナム、中国からが多い。近年の増加率(1999年と比較)に着目すると、イギリスが60%増、中国34%増、トルコ28% 増と高い。イギリスは高所得者が退職後に第二の人生を送るためにフランスに渡ってくるらしく、性格が他国の場合と異なる。中国からの移民は強力なコミュニティを形成しており、パリ市内の南部にも巨大なチャイナタウンが形成されている。個人的には爆発的な経済成長を続け、世界からも市場として注目されている中国から、その成長と同じ時期にこのような高い率で仏国へ移民が増加していることがなぜなのか疑問が残る。もっとも移民の受け入れ条件を厳しくする法律が今年可決されたことから、この状況も近く大きく変化することと思われる。(低層カテゴリをより厳しく、知識人、高層カテゴリをよりゆるくした)。
このような複雑な状況を背景に貧富の差や社会的な待遇の差が生じ、鬱積している。日本でも多く報道されたが、特に昨年から郊外で暴力的な反乱が頻発している。社会的なバランスが失われていることが問題になっている。

一方で特にインフラ整備に着目すると、高速道路網やTGV網が着実に整備され、主要都市ではどこでも最新型のトラムウエイを見ることができ、経済開発という側面ではうまくバランスを取っているように見える。

この宿題は幅が広くまたフランスの現在を象徴する問題だと思う。自分自身のこの国での経験を締めくくるためにも少し時間をかけて考えていきたい。

novembre 08, 2006

砂漠の戦争

「砂漠の戦争」岡本行夫著を読んだ。
僕は自分でも情けなくなるくらい一般常識がない。特にヒトの名前と歴史については手の施しようがない。しかし、間が悪いことに好奇心だけはあるのでいろいろと手を伸ばしてしまう。
奥克彦さんと井ノ上正盛さんのことはニュースで名前だけ知っていた。ちょうどこちらに赴任することが決まったころだ、大学時代の友人を自宅に招いて小さな宴会を開いた。話は思いがけずこの両氏の話題となったがしばらく沈黙の時間が過ぎたのを今でも鮮明に思い出す。それぞれに沈黙の理由はあったろう。でも自分の場合はこのときの戦争が自分の世界のものと感じていなかったからに他ならない。そういう無関心の自分に気づいて何かずーとしこりが残ったままだった。
岡本行夫氏のことをそれから3年もたって、しかもパリで知ったのはこれも単なる偶然に過ぎないが、この本を読むことで当時のしこりが少し解消された気がする。

novembre 07, 2006

ヨーロッパの大停電


11月4日の夜にヨーロッパで大停電が発生した。影響を受けたのは10カ国、延べ1000万人らしい。フランスはそのうち500万人の影響があったが、休日で夜も遅かったし、停電した時間が1時間程度だったので目立った事故は発生しなかった。
日本でも江戸川を上っていたクレーン船が高圧線を遮断して東京が長時間停電して混乱した事故があった。今回のヨーロッパの事故もそれと似ていて、ドイツの東北部で船の航行のために高圧線を一部遮断した事が原因となっている。こちらの場合は事故ではなく、通常の操作としてやったらしいが。

ヨーロッパは電気を輸出する国と輸入する国で成り立っている。フランスやイギリスは自給率が高いが、フランスにおいては隣接するスペイン、イタリア、ドイツ、ベルギー、ルクセンブルク等に輸出している。フランスの電力の特徴はいうまでもなく原子力。シェアはなんと8割に近い(日本は3割程度)。脱線するが、先日行ったボルドーのジロンド川沿いにも大きな原発が建っていた。地震がないから日本ほどの危険性はないかもしれないが、もし何か起こればボルドーのワインは今後一切飲めなくなる可能性がある。

新聞の報道を見ていると、ヨーロッパレベルで一括して電気配送を監理しているところは現在はないようだ。一方で、各国で民営化を進めているので、インフラ投資が後回しになっており、今回の停電の要因となっているとしている。

数ヶ月前のニュースではロシアからリトアニアへのパイプラインが、ロシアが保守点検のためという理由で長期間停止させた(ている?)という問題が発生した。これは民営化したリトアニアの石油エネルギー会社をドイツの会社に売却する事を決定した報復だと見られている。

日本は石油タンカーが着岸できなければまずいし、かといって原子力は地震があるから安全性が定かでない。地熱、波、風力などの新エネルギーに本気で取り組まなければならないと思う。

novembre 06, 2006

Lettre de demande


シャトー訪問は半ば先方の好意で受けてもらうものなので、ある程度の知識とコミュニケーションが出来るということが大切である。仏語であればなおさらよい。
今回はへたくそながらなるべく丁寧にメールを書いて送った。記念に残しておこう。

Madame, Monsieur,

Je me permet de vous envoyer ce mail pour vous demander un rendez-vous afin de visiter votre chatêau le 2 novembre à 10h00 avec ma femme et ma fille.

Nous sommes japonais et habitons a` Paris depuis 2 ans. Nous aimons beaucoup le vin francais.
Nous souhaiterions savoir si vous organisez des dégustations de vins.

Je vous reconaissant de bien vouloir me faire parte de votre disponibilité.

Je vous remercie par avance de votre reponce.

Cordialement,

写真はChatêau Pegeauxの畑

novembre 04, 2006

Bordeaux Chaêau巡り


11月1日(水)はToussantという祝日。木、金と有休をもらってBordeaux方面に旅行することにした。
久しぶりの長期旅行。移動は全て車なので、トランクに今回は湯沸し器、炊飯器、米を用意して行くことにした。
計画は下記のとおりで、メドックとサンテミリオンのシャトーを合計4つ回る予定。
11月1日(水)パリ→ボルドー移動
11月2日(木)(メドック)シャトー・ソシアンド・マレ、シャトー・モーカイヨー、シャトー・プジョー
11月3日(金)(サンテミリオン)シャトー・ラルマンド
11月4日(土)ボルドー→リモージュ
11月5日(日)リモージュ→パリ

シャトー訪問はアポイントが必須。シャトーによっては(モーカイヨーなど)はビデオや展示が揃えてあっるが、通常は働いている人が個別に説明をするものである。今回はこちらの仏語のレベルを考えると、世界の最高レベルのワインを作っているシャトーに飛び込んでいくのはいささか恐縮してしまう所もあったが、思い切ってメールおよび電話でアポ入れを試みた。
シャトーソシアンドマレはメールでアポイント申し込み、一番最初に返事が来た。
シャトープジョーはメールで申し込んだが、返事が遅く、日程が変更したので再度メールを打ったところOKの返事が来た。
シャトーモーカイヨーもメールで申し込み。ただし、ここは有料。
シャトーラルマンドは電話。本当はシャトーソータールに行きたかったところ、こちらに申し込んだら都合があわないということで断られたのであるが代わりに所有者が同じのラルマンドを紹介された。
なお、ラトゥールは満員でだめ。その他もメールを打ったが返事がなかったシャトーがいくつかあった。
もっとも、11月は既にオフシーズンで、長期休暇を取るシーズンだということなのでアポが取れただけでも感謝しなくてはならない。

今はサンテミリオンのホテル。
サンテミリオンは周りが広大なブドウ畑で囲まれた丘の頂上にある岩の町。
町の7割くらいはワインショップで占めていると思われる。

novembre 01, 2006

フランス語


今日はフランス語だったのだが、ふとしたことで見つけたAsano Motoeさんのエッセイをテーマにした。 http://www.espacestemps.net/document2028.html
題目は「ロジックで割り切れない部分に潜むその国の文化の深層心理」というもの。エッセイで取り上げているのは「土足」。Moteさんはフランス在住20年らしいのだが、仏人が家の中で靴を脱ぐと言う事についてどういう意識があるのかを、自らの経験に基づいて述べている。結論から言うと、仏語にも寝上の人や初対面の人に対して使う「Vous」と、親しい間で使う「Tu」の区別があるのであるが、Vousの間柄は靴を脱がず、Tuの間柄に到達した時に靴を脱ぐ、というもの。なるほど。とおもった。
自分の経験からでも、ある日仏人を家に招いた時、婦人はマルチカルチャルな人で、靴を脱いだ方が良いのか尋ねたものの、旦那の方は何もいわずそのまま家に入ったことがある。特段悪気を感じたわけでもなく、むしろ、その彼の普段と一味違う服装を見て「そうか」と思った。
つまり、自分が相手に対して一番綺麗にしている状態、が一番礼儀正しいという事なのである。靴を脱いで(きたない)足をさらすことは許されず、まして他の誰が履いたのか分からないスリッパを勧めると言うのはもっての外ということである。

ところでSalon du Chocolaなるものに出かけた。沢山の日本人がいた。娘は大喜び。私はもともとそれほど好きではないのであったが、、、、世の中にはチョコレートが好きな人がたくさんいるということを知る事ができた。

octobre 31, 2006

岡本行夫氏の講演に行って、知った梅田望夫氏のWeb革命という本を読んだ。これはGoogleを中心において現在のビジュアル世界について分かりやすく解説しているものであるが、実際にどんなものか触ってみたくなり、ためしにこのBlogサービスを利用してみようと思った。もともと、まめな方ではないので、更新することも途絶えることが予想されるが、何か新しい発見があることを期待しつつ気軽にやってみたい。
梅田望夫氏の話ではないが、YouTubeというサイトのことも知って覗いていたら、耐震偽造の件で知られる人となった元イーホームズ社長の藤田東吾氏が伝統的なマスメディアに対抗し、インターネットを利用した訴えをあげていることを知った。氏の主張はあちこちのブログとYouTubeで見ることができるが、氏の言うように伝統的マスコミがほとんど反応していない。事実関係の裏づけ云々はあるのかもしれないが、市民としてはこの無反応は不自然に思ってしまう。これが今後どのような形でマスコミに取り上げられるのか、あるいは出ないのか、これを観察することは、インターネットのビジュアル世界とリアル世界の境界線を見るようで価値があると思っている。